翡翠・玉
(ぎょく)石の加工について


モース硬度が7以上の、硬く強靱な石を加工することは
たいへん困難ですが
古来からそれなりの方法が考えられてきました
まさに職人の知恵の結晶と言えます



これは玉(ぎょく)を切っているところ。
(吉川弘文館刊 寺村光晴著 「日本の翡翠」から部分転載)

弓に針金を張り、玉と同じ硬さか、それよりも硬い石の粉を
泥状にしたものを塗し(まぶし)ながら
鋸のように前後に針金を動かし切っていきます





これは甲府地方(山梨県)の伝統的な技法ですが
翡翠(ひすい・硬玉)を荒削りしているところです
(淡交新社刊 「日本の工芸」より石・玉から部分転載)

長さ20cmほどで太さが3mmくらいの釘のような鉄のタガネを
竹ひごの柄の付いた小さな金槌(かなづち)で叩いています
タガネも金槌の柄も適度な弾力があり、その微妙な弾力で
原石を割らないように細かく砕いていくのだそうですが
これにはかなりの熟練が必要だということです





仕上げ形成をしているところ
(淡交新社刊 「日本の工芸」より石・玉から部分転載)
これは出雲地方(島根県)独特の技法です

剣金(けんがね)といわれる鉄の道具を使い
余分な部分を削り取っていきます
これも微妙な力加減が必要のようです





これは翡翠(ひすい)に穴を開ける実験をしているところです
(学生社刊 小林達雄編 「古代翡翠文化の謎を探る」から部分転載)

翡翠の硬度は7以上あり、しかも非常に強靱で
現在のダイヤモンドカッターを使っても削るのはなかなか大変です

この実験では、穴をあける錐(きり)には、よく乾燥させた
細い篠竹を使ったということです
他には動物の細い骨も使われたのではないかと推察されています
この棒の先端に、先に紹介したように翡翠と同じ硬さか
それよりも硬い石の粉(コランダムなど)を塗し、回転させると
石の粉が、柔らかい笹や骨の先端に食い込み固定され
それが玉を削っていきます

現在でも、ダイヤモンドを研磨するには、銅板のディスクを回転させ
それにダイヤモンドの粉を塗して行いますが、それと同じ原理です

上の実験によると、手揉みで1時間に1mmほど穴を開けることができたということです
錐を回転させるのに、これも古代から使われている弓錐や舞錐を使う場合もあります





これは富山県北代遺跡から出土した
縄文時代のものと思われる翡翠の加工品です

穴が途中まで開けられていますが
穴あけの道具を試した痕跡かもしれません
これを見ると、錐の先端の形状は
管状になっていたことがわかります
管の厚みから、笹か小動物の骨(骨は内部が空洞になっています)
を使ったものと思われますが
銅など、金属で作られた管が使われた可能性もあります

現代の勾玉作家の中には古代と同じ技法で作っている人もいますが
その人たちの穿孔技法では錐に銅の管が使われています





これは兵庫県神戸市の雲井遺跡から出土したものですが
左側の石は玉よりも硬そうな感じがします
もしこの石に硬度7以上のコランダム(鋼玉)が含まれているとしたら
この石を細かく砕いて穴あけや研磨作業に使われた可能性もあります





参考までに、これは灯籠など花崗岩の石製品の
仕上げをしているところです。
(淡交新社刊 「日本の工芸」より石・玉から部分転載)

加工する石材の大きさと、それを加工する道具の重さは
うまくバランスが取れているはずです

これは、ちょうど、鐘とそれを鳴らす棒の関係と同じで
大きな鐘を鳴らすには大きな棒が必要で
小さな鐘にはそれに合った棒が必要なのです
釘と金槌の関係も同様です

上のような紡錘状の工具と同じ形状のものでもっと小さなものは
古来から水晶の穴あけに使われています





このように、念珠などに使われる、直径が1cmほどの水晶に
穴を開ける際に使われていた
(小学館刊 「技術と民族」より部分転載)
水晶は硬度は7で非常に硬いものですが、石質は脆く容易に割れます
同じ硬度でも翡翠など硬玉と比べると強靱さが全く違います





これは兵庫県三田(さんだ)市にある
三輪・餅田遺跡で2010年3月に発見された
加工途中の碧玉製の管玉です
両側から穿孔される途中で割れたものと思われます
興味深いのは、これから穴を開けようとしている側の導き穴です





よく観察すると
白い跡は何か鋭いもので
何度も突かれたように見えます

弥生時代には鉄は使われていたので
おそらく上に紹介した小さな金槌とタガネで
開けられたものと思われます(参照

鉄は酸化して朽ちてしまうのが早いので
遺跡に残されていないだけで
おそらく鉄の加工道具も
使われていたのではないでしょうか





神戸の雲井遺跡で発掘された玉加工工房跡から出土した物の中には
山陰地方から持ち込まれたと思われる碧玉(へきぎょく)製の勾玉(まがたま)
管玉(くだたま)、それから原石とそれを加工した際に出た破片もありました
どれも小さく、左の勾玉が縦2cm、厚みは2mmほどです





この中央の割れた管玉は、紐を通すための穴を開ける途中で
割れたものと思われます。このように、穴あけ加工の様子を見る
ことができる資料は大変珍しく、我々趣味で勾玉を作る者にとって
とてもありがたい資料です(参照
写真右端の細い石は左のものと同じ石質で碧玉のようですが
現地説明会の担当者は、これで勾玉や管玉に穴を
開けたのだろうと説明していました
先端を見ると摩耗で角が丸くなっていますので、もしかしたらそうかもしれませんが
弥生時代ということを考えると、穴あけ作業には銅(青銅)や鉄が
使われていた可能性の方が大きいのではないかと思われます
碧玉のように硬度が7ほどあり、しかも強靱な石に穴を開けるには
銅や鉄(軟鉄)の方が遙かに優れているのです
特に上の写真のような勾玉の小さな穴は石の錐だとすぐに折れてしまい
金属でなければ無理だと思われるのです
ですから、この石の錐は他の目的で使われたものと思われます
たとえば、勾玉の穴を広げたり、穴の縁も面取りをするためのリーマーとして使われたか
あるいは木の穴開けに使われたか・・
勾玉や管玉に穴を開ける際には、そのための木製補助道具が必要で
それを加工するのに使われた可能性の方が大きいのではと思われるのです


雲井遺跡から出土ている、途中まで穴が開けられ割れた管玉の穴の形状は
最初に目にしたときからずっと気になっていたのですが
今日ふと思ったことがあります
気になっていたのは開けられた穴の途中にある二筋の擦れ跡ですが
これは穴を開けている最中に粒の荒い研磨剤が入り込んだとしか考えられないのです
ということは、穴を開けるために使われていた錐(きり)の断面の形状は
丸ではなく多角形かあるいは楕円形だったと思われるのです
もし断面が丸い錐だとすれば、粒の大きなものが入る隙間はないはずですが
四角形か六角形あるいは楕円形だったら荒い粒が入る隙間ができます


あるいはこのように錐の先端部が
太くなっていたことも考えられます

もし、回転している錐と碧玉の穴の間に硬くて荒い粒のものが入ったら
その抵抗はかなり大きなものであることは、経験から想像できます
ですから、手揉みで穴開けを行っている場合にしても
舞錐や弓錐で行っている場合にしても、その時点で作業を止め
粒の大きな研磨粒を取り除くはずです

ところが、出土した割れた管玉の擦れ跡を見ると、
かなりの時間そのまま放置されていたと思われるのです
舞錐や弓錐を使ったとして、数十分は放置されていたのではないでしょうか
結果、割れてしまった。ということは、割れるまでそのことに
気が付かなかったとも考えらます
つまり、管玉に穴を開けているのは人間ではなかった
言い換えれば機械的な装置を使って穴を開けていた
ということも考えられるのではないでしょうか





これは玉製品工房跡から20mほど離れたところにある川の跡です
説明では、縄文時代の頃からかなり長い期間
安定して流れていただろうということでした
ですから、ここに水車を作り、水力で玉製品に穴を開けていたということも
充分考えられるのではないでしょうか
鳥取県の弥生遺跡、青谷上寺地遺跡で出土した大量の木器を見ても判るように
当時の木工技術は現代よりも優れていたと言っても過言ではありません
その技術をもってすれば、水車やそれに連動する動力装置を
作るぐらいのことは容易かったと想像できるのです

弥生時代から古墳時代にかけて大量につくられた勾玉や管玉
特に細長い管玉に穴を開けるのは手作業だけでは大変だったでしょう
硬く強靱な翡翠に加工が為されてきたのは縄文時代の中頃からですが
その間、それを行う工人たちは様々な工夫を凝らしてきたのではないでしょうか
それは少しでも楽に、早く作業をできるようにとの思いから為されたのだと思うのです
現在、古代の技法で勾玉を作っている人の中には、勾玉に穴を開けることを
「魂を込める」と表現されている方もいますが、そのような思い入れは
大切なことだと思うのですが、古代の職人たちが舞錐や弓錐を考え出したのは
また錐や研磨剤に様々な工夫をしたのは
少しでも便利なものを追求したからではないでしょうか
私は楽器を作るのが専門ですが
作業は少しでも楽な方がいいのは当然のことで
楽器を作る際に大切なことはもっと他のところにあるのです


玉石の研磨に使われた砥石

勾玉について    自作勾玉


Back                    Home