音律の話とギターでの実験

ピタゴラスの巻貝   文:鈴木勝


 

《五度圏レーダー図:ピタゴラス音律》


ギター奏者も知っておきたい音律の知識

はじめに

「音律って、音階のことでしょう」と思っている人が案外多いと思いますが、大まかには正しいようですが、正確には随分違うと言ったほうがいいでしょう。
音楽を楽しむためには音階が必要です。いきなりこんなことを言うと、前衛音楽の時代をくぐって来た人達からは、ただちにブーイングを受けそうですが、一般的には楽音として周波数の確定した音で構成された音階を使った音楽が巷には溢れています。この音階をどういう原理で構成したかが音律です。
そして出来たものが音階と言ったほうがいいでしょう。
音楽辞典を引くと「音楽で使う音程関係を音響学的・数学的に規定したもの」だそうです。 そして「これに応じて楽器の音高を決定することを調律という」のだそうです。今さら何でそんな話をするのかと言うと、今この話題が面白いからです。音律の歴史は音楽の歴史そのものと言ってもいいかも知れません。 人が音楽をするようになってどのくらいの時間が経ったのか分かりませんが、少なくとも文明が起きてから、もう音律の問題は発生していただろうと私は思います。
古代バビロニア文明ではハープのような楽器の調律が純正五度で行われていたことが、楔文字の解読によって分かっているそうです。約四千年も昔のことです。そして現代は平均律が一般的に使われていて、特にギターのようにフレットを持つ楽器にとっては、この音律は絶対的なものだと言ってもいいでしょう。平均律の登場で音律問題は解決したかに思えましたが、どうもそうではないようです。神聖な響きや美しい響きを求めての、飽くなき探求心が駆り立てる衝動なのかも知れませんが、むしろ未来永劫解決しそうにない永遠のテーマなのかも知れません。新たな音律が生まれることで、その時代の音楽が大きく変化してきた過程が音楽の歴史だともいえます。そして現在はというと、西欧で発展してきた音楽も前衛の時代を過ぎ、行き場を失って漂流しているような沈滞ムードがある反面、商業音楽は益々盛んになっています。
クラシックとポピュラーの区別がなくなってきたのも、こうした時代背景と無関係ではないように思えます。
音律の話題は普段はあまり表に出てこないものですが、この音楽の本質とも言うべきテーマを多少の知識として持っていても、損することはないだろうということで取り上げてみたいと思います。


音律の種類

主な音律の名前をあげれば、平均律、純正律、ピタゴラス音律、中全音律(ミーン・トーン)、各種の五音音階(ペンタ・トニック)の他にも、 ピアノ等の鍵盤楽器や管楽器では、ヴェルクマイスター、キルンベルガー、ヴァロッティ(ヤング)、ケルナー等が知られていますが、バッハが行なっていた調律もこのような種類の調律だったようです(参照)。平均律については、日本では「平均律クラヴィーア曲集」を書いたバッハが作った音律のように 思われていましたが、バッハは平均律を使っていなかったことが現在では明らかになっています。平均律が数理的に示されたのはバッハの少し前の時代で、対数表が創られ複雑な計算ができるようになったことが一番の要素です。
具体的な調律方法として発表したのはメルセンヌで、フレットを持つ楽器には有効であるとして、フレットを打設する位置を数値で表したのが最初のようです(注1)。
これらの音律は主に欧州に見られるもので、その他にもアラブやインドのアジアでは全く異なる音律を使っていますし、その他の地域にも独特のものが存在します。私達が使っている平均律は、明治政府が近代化を進めるために、西洋化を目指して欧米を手本に取入れたものです。それ以前は中国から伝えられた「三分損益法」によるピタゴラス音律が使われていました。

正倉院には中国から伝わった古楽器がたくさん残されていますが、三分損益法による音階が使われていたものと推測されます。
日本では古くから順八逆六という方法が使われていたようですが、これは三分損益法と同じですから日本の音階は分かり得る範囲ではピタゴラス音階が母体です。このギリシャで生まれたピタゴラス音律は、当然にヨーロッパでも中世までは使われておりました。グレゴリオ聖歌はピタゴラス音階が使われ、単旋律で歌われます。
これは独特の雰囲気があり、日本でも今静かな人気があるようです。
今回の音律の話はこの西欧で発展した音律についてのみです。実はそれ以外の音律については、私は不勉強で分かりません。色々と書籍も出ているでしょうから、申し訳ありませんが興味のある方はそちらを見て下さい。この記事での目標は、ギターを弾く者としての立場から、何らかの具体的な実践として音律の知識を活用できないかという点にあり、また音律を通してギターを見つめてみようと思います。その上で現在の音楽がこれからどのように進んでいくのか、音律の話題からギターの未来を想像してみたいと思います。


予備知識

ある音より1オクターブ高い音は振動数が2倍になります。ですから、2オクターブでは4倍になります。そしてこれらの音には音程の違いがあることは承知の上で、感覚的には同じ音として理解されています。音程の違いは振動数の比率で表わすことができ、この1オクターブの音程を同じ比率で均等に12音に割った音で構成したものが平均律です。つまり音程は振動数という視点でみると、掛け算が主体となってできていて、半音の振動数比を12回掛け合わせると2となり、1オクターブ高い2倍音になります。この半音を100等分した音程を1セントといいます。細かな音程を表現するにはこのセント表示が欠かせませんので覚えておいて下さい。
一方、2つの音を同時に鳴らした時の協和する響きは倍音としての関係になります。一般には一つの音が鳴ると、その振動数に対応してその2倍音、3倍音、5倍音…と共鳴現象を起こして鳴り合わさり、その時に倍率が小さい方がより大きな音として響きます。
ギターで実験してみると、@弦の開放弦を弾くとE弦とD弦の開放弦が共鳴振動します。@弦を消音してもED弦は鳴り続けます。更にE弦を消音するとD弦だけが鳴っていることが分かります。それから弦の長さと振動数の関係は反比例しますので、ギターでみると弦長の真中が12フレットになっていて、開放弦の1オクターブ高い音になっています。振動する弦の長さが半分になれば、振動数が2倍になります。このことは既にバビロニアの時代から知られておりましたし、直角三角形の定理で有名なギリシャのピタゴラスは音律の研究をするために、モノコード(一弦琴)という測定器を使っていました。
まあこれは構造的にギターのフレット・ボードと似たようなもので、正確な音程を測るには最も優れたものだったようです。音が空気の振動であるということが分かっていなかった時代ですから、弦の長さや笛の長さと穴の位置などで音程を研究したわけです。ピタゴラス以降も音律研究ではモノコードによって行われ、モノコードをどのような長さの比率に分割するかというモノコード分割という手法で、ルネサンス時代の純正律の研究にも中心的な役割を果たしています。つまりギターは音律を勉強するには適した楽器だと言えます。


倍音と純正な響き

倍音関係にある音を同時に鳴らすと、完全にとけ合い美しく響きます。平均律になれてしまった私達の聴感覚からすると、むしろギンギンとした耳に食い込むようなしつこさを感じるかも知れませんが、昔からこれが美しいと思われてきた純正な響きです。つまり振動数が簡単な整数比で表すことができる音程関係にあります。ギターで倍音を理解する一番良い方法は自然ハーモニックスです。音程と振動する弦の長さが反比例していることが目でも分かります。2倍音は12フレットで半分、3倍音は7、19フレットで1/3です。4倍音は5フレット、5倍音は4、9、16フレットとなります。7倍音以降は音階としてのズレが大きいためにフレット上ではなくなってしまいます。
私達ギター奏者は5倍音ハーモニックスがフレット位置から少しズレていることを経験的に知っていますが、実はこの事実こそが音律の歴史を作った張本人でもあるということです。この微妙なズレがこれからの話題となる数々の音律を生んだもので、5倍音の宿命とも言うべき実態なのです。
ギターのフレットは平均律で作られていますから、つまりこのズレが平均律と純正律の音程差ということです。

ここで倍音と音程との関係をはっきり説明しておきましょう。既にご存じの方も多いと思いますが、少しお付き合い下さい。2倍音は1オクターブ高い音です。ドの音を基音にすると3倍音はソの音ですが、2倍音よりも更に高いので、音階を1オクターブの中にまとめるには、1オクターブ下げて1/2倍することになります。1オクターブの音階の中では完全5度は3/2倍音です。このソの音を更に3倍する(ソを5度高くする)とレですが、やはりオクターブの中にそろえるためには、2オクターブ下げて9/8となります。ここで逆に3倍音のソを1/3倍すると、12度下がって基音のドになります。そこで4倍音のドを1/3倍すると12度下のファになり、基音の4/3倍のファとなります。(譜例1)


譜例1 3倍音系列



次は譜例2に示す5倍音ですが、2オクターブ+長3度のミの音です。ですから2オクターブ下げて5/4倍となります。先程と同様に1/3倍するとラの音になります。次にミの音を3倍するとシの音になりますので、オクターブ下げて収めますと、純正律のハ長調ダイアトニックスケールの完成です。(譜例3)


譜例2 5倍音系列

 



譜例3 純正律の全音階的音階

 

このように、隣合う各音程を見ると全音が2種類存在しますが、大きい方を
大全音(9/8)、小さい方を小全音(10/9)といいます。


均等な音程の平均律

これに対して、全ての半音を同じ比率(2の12乗根)にしたのが平均律ですから、全音は1種類しかありませんし、セントで表示すると全部の音が100セント単位になっています。いわば音程の「ものさし」と言うべきものですから、
この話を進める上で、平均律を定規に見立てて各種の音律を比較したいと思います。  
このように平均律は半音の比率(1.059463・・・)が割り切れない無理数で出来ていますから、絶対に倍音系列には含まれない音の集合体となっていますので、純正な響きと比べると美しくないということになります。響きの美しさよりも数理的な合理性を採用した音律だと言えます。
それでは、純正律とどのくらいの違いがあるかセント値で見てみると、表1のとおりです。


表1 平均律と純正律のセント値

 

人の聴覚で音程を聞き分けることができるのは2〜3セントが限度だそうですが、これは旋律として聞いた場合と、和音として聞いた場合とでは狂いを知覚する能力に違いがありますので、数字だけを見て響きの良い悪いを単純に判断できないと思います。
ピアノ調律師の試験においては5セント以内に調律することが求められているようですし、和音として聴いた時は3セントくらいまでは違いが分かるそうです。ギターの調弦では2セントの違いを私は調整しているつもりです。
しかしそれ以前に、ギターのフレットが正確に設置されているか、弦の太さが均一か、押弦が安定しているか等が重要なポイントになりますし、この音程差は糸巻きの性能や温度や湿度の変化、更に弦の新旧での伸びの違い等で、またたく間に変化してしまう程の極めて僅かな違いです。
最近は電子チューナーを使用している人が多いと思いますが、このチューナーは最低音程幅が2セントくらいではないかと感じられる機種が多いように思われます。これに対して旋律的には10セントくらいの違いは許容範囲にあると思われます。勿論伴奏の和音が鳴らなければということです。
ここで一番問題となっている音程がミとラの3度6度音程で、平均律では純正音程に対して3度は14セント、6度では16セントも違うことです。この音程を許容することで平均律が使われていることになります。それに引換え完全5度と完全4度では2セントの違いしかありませんので、こちらは大変美しく響くことになります。つまり平均律は3倍音系列の音が綺麗に響きますが、5倍音系列の響きが良くないことになります。このどちらを取るかで各種の音律が作られ、歴史の流れが形成されることになります。


ピタゴラス音律

ここで古くからヨーロッパに限らず、世界の広い地域で使われてきたピタゴラス音律について見てみましょう。ピタゴラスは数理が宇宙を支配していると考えていたようで、音律を数理的に統一した方法で作ることを考えました。
そして作られた音律が3倍音を基軸にしたピタゴラス音律です。
基音から3倍音音程の完全5度で次々と音を重ねていくと、12回目で7オクターブになりますので、この12の音をオクターブ変換して、基音からの1オクターブ内に並べたものが音階として使用されます。周波数を半分にすると1オクターブ下の同じ音になり、これを基音より低くならないところまで下げ、何オクターブ離れていても同じ音と判断する訳です。ところがここで問題が残りました。完全な7オクターブではなく、24セント(正確には23.46セント)オーバーしてしまったことです。この音程の差をピタゴラス・コンマと言います。
平均律ではこのコンマを12等分して各5度音程を2セントづつ縮めてある訳です。ですから表1でGが702セントの純正律に対し平均律では700セントになっています。
ピタゴラス音律は理論値を調整しませんので、このコンマがまとめてどこかにシワ寄せとなって出現し、24セントの狂いがウルフ(ギターのウルフ・トーンとは異なり、協和しない音程の響きのことで、ここでは約1/4半音の差)の不快な音程となってしまうことになります。
昔は音楽上での和音の技法が発達していませんでしたし、転調も行われなかったことから、十分使用に耐えられる音律だったのです。これは色々な音律の中でも純粋に良くできたものでしたから、その後も広い地域で永く使われた訳です。特に単旋律で使用すれば、美しい滑らかな旋律を奏でることができる音律でした。グレゴリオ聖歌が現代人にとっても、心を洗う美しさを持っていることは特筆すべきことです。日本の音律もどのようにできたのか、また伝えられたのか分かりませんが、飛鳥時代以前から既にピタゴラス音律が使われていたと考えられます。次にピタゴラス音階のセント値を表2に示します。


表2 ピタゴラス音律のセント値

 

ピタゴラス音律が問題となった原因は、やはりミの音でした。純正律との違いは22セント(正確には21.5セント)もありますし、これをシントニック・コンマと呼んでいます。このウルフが問題になった経緯は、中世のキリスト教の教会で発達した和声への目覚めです。教会ではグレゴリオ聖歌を歌い祈りが続けられていましたが、残響時間が長いため協和する音としない音の音程関係が研究され、協和した時の美しさを求め和声法が発展しました。
これに従い、それまでは余り問題にならなかったウルフの存在が不快をもたらす脅威となったのでした。3度音程が不協和音程だったのはこのような理由からです。
完全な音程は8度と5度、4度だけで、つまり2倍音と3倍音だけが協和音として考えられていました。現在でもこれらの音程を「完全」という枕言葉を添えて表現するのはそのためです。
音律を考えることは、共鳴する倍音群の中からどのような考え方で実用になる美しい音の組合せを決定するかということだった訳です。もともと5倍音は純正な響きですから、存在は知られていましたが、3倍音との共存する音律を構成することはできませんでした。
ピタゴラス音律は5倍音を使わず、倍音列の中からそれに近い音を使って構成されたのです。その結果、和声法の発展とともに不快を内包する音律であることが分かるようになったのです。


五度圏レーダー図表

ここで、音律の中でそれぞれの音程がどうなっているか図で表現することにしましょう。
音律の説明をする場合は、一般的には五度圏を円周に置き必要な音どうしを直線で結びセント値を記す方法がありますが、私が素人であるためかこの表現方法が分かりにくいと思うので、私はレーダー・チャートを使うことにします。この方法は「ものさし」である平均律の各音との音程差をセント値で表わす内容でグラフを作成します。五度圏の表示は同じですが、Aを基準に調律することが多いことからAを0セントにして行ないます。Cを0にしたい時はAとCのセント差を全ての音に加えれば済むことで、相互の関係は変りませんから、音律の図が少し拡大又は縮小するだけです。数値目盛は円の中心からデータ内容による適度な範囲(-30〜30)を外周の方向に同心円状に設定しています。試しに平均律を表示すれば、平均律との比較ですから全ての数値は0となり、目盛0を通過する12角形が一つ描かれることになります。
それでは実際にグラフにしてみますと、平均律とピタゴラス音律は図1、2のようになります。


図1 平均律の五度圏レーダー図

        



図2 ピタゴラス音律の五度圏レーダー図

      

ピタゴラス音律は形に特徴があって分かりやすいですね。
私はこれを「ピタゴラスの巻貝」と呼んでいます。しかし、これだけでは単に音律を造形的に見ているだけで構造が分かりませんから、この図に主要な音程を加えて一緒に表示します。
グラフの表示は4項目で、「音律」とは対象となる音律の各音と平均律の各音とのセント差(つまり2倍音)、「5度」とは音律の各音を根音とする5度音程と平均律700セントとのセント差(つまり3倍音)、同様に「長3度」「短3度」とは、その音を根音としたときの平均律400(5倍音)、300セントとのセント差をレーダー・グラフにする方法です。こうすることで視覚的にその和音の特徴を確認することができます。その様子を再度ピタゴラス音律で見てみましょう。


図3 ピタゴラス音律

      

この図の見方ですが、まず音律を表す太線を見ると、五度音程で右回りにたどると2セントづつ増えていきます。この図を見るとピタゴラス音律は時計回りに開く渦巻状になっていることが分かります。つまり音律としては12音で完結せず、無限に拡がっていく音律です。
ただし音楽で使用する上ではオクターブを純正にする必要がありますので、その音列の中から、12音の1オクターブを切り出して使用することになりますから、切り始めと切り終わりでは22セントの幅が空いてしまいます。それが図のEsとGisの間の落差として表れています。つまりこの5度音程がウルフを呼び出す要因となります。
次に5度の細線を見ると、EsからCisまでは11個が純正の+2セントで連続し、これがピタゴラス音律の要となっています。更に破線の長3度を見ると、EsからEまでの8個が+8セントで、純正との差が22セントありますので不快な響きが続きますが、一転してHからGisまでの4個は-16セントですから、純正との差が2セントの美しい響きとなります。
短3度は長3度を重ねると完全5度になり、純正5度を補完する関係にありますので同じような現象がズレて現われます。つまり破線でCからGisまでの9個が濁り、EsからFまでの3個が美しく響きます。
今の説明でも分かるように、この図を見る時に必要なことは、それぞれの音程で美しく響くのがどこかを覚えておくことです。それは純正律の音程が平均律と比較して何セントになるかを覚えておくことです。
つまり、完全5度は+2、長3度は-14、短3度は+16セントということです。
あり得ないことですが、理想の音律があるとすれば、図4のように、コマを回した時のような同心円状の状態となり、音律は0に、5度は+2、長3度は-14に、短3度は+16に描かれることになります。


図4 理想の音律

       


もう一つ覚えておきたいことは、ある調での主要三和音を考える場合は、両隣の状況を見れば良いことになります。例えばハ長調では5度上のGと5度下のFの各音程を見ることになります。副三和音でもAmはAの短3度と5度で響きの具合がわかります。つまり近親調では同じような傾向を持って、緩やかに変化する方が響きのバランスが取れて好ましいことになります。  
ところで、このピタゴラス音律の特徴を和声的に考えてみましょう。
通常は色々な調で作曲しますが、楽器にもよりますが演奏し易いのは、やはり変化記号の少ない調性ですね。純正律では転調ができませんから、調によって調律し直す必要がありますが、そんな煩わしいことはなるべくしたくないですから、ウルフの驚異を遠ざけるために、なるべく遠い調へ追いやっておきます。ハ長調ではGisとEsの間で678セントにして使います。
ところがピタゴラス音律では、EsからEまでの普段よく使用する調で、響きの良くない長短3度が居座っていて始末が悪いのです。bや#が2、3個付いている調では、ほとんどの長短三和音の響きが汚いのです。これでは伴奏したくなくなってしまいますから、旋律だけの方が綺麗な音律だということになります。  ところが神様は時々悪戯をするようで、この遠ざけたウルフを含む音程のときに純正と2セントしか違わない美しい響きを隠していたのです。
HからGisまでの和音がこれに当たります。図で見ると一目瞭然です。普通はこのような調は使いませんよね。変化記号を6、7個付けた調が美しい響きになっていることが分かって音楽をする人達は驚いたようです。歌の伴奏などでは半音下げてくださいなどという注文が入るようですが、いくら美しい響きだからと言っても、ギターではやめてくれと言いたくなりますね。こうした発見がきっかけになって、普段使用する頻度の高い調性で響きの良い新たな音律を求めるようになりました。


純正律

現在の私たち日本人は、音楽というと西洋で発展したもののように思いがちですが実際はそうではなく、そのような知識しか与えられなかったに過ぎません。現在では違うのでしょうが、私の世代では音楽室の壁に偉大な音楽家の写真が年代順に並んでいて、バッハやヘンデルあたりから音楽が始まったような教育を受けましたが、それは間違いだったと思います。
ルネサンスやバロック音楽は毎朝ラジオで聞いていましたし、古い音楽があることは薄々知っていましたので、日本の音楽教育はどうなっていたのでしょうかね。ところで、そのルネサンス期に現われたのが純正律と中全音律という新しい音律でした。
純正律については太古の昔から研究されていた訳ですが、ピタゴラス音階が幅を利かせていたため、西洋では8、5、4度までが協和音程として考えられていたのですが変化が生じてきます。ケルト人は紀元前からヨーロッパの広い地域で高い文化を誇っていましたが、ローマ帝国の台頭とともにイギリスやアイルランドに追いやられてしまいました。このケルト人の音楽は純正3度を使った美しく甘美な独特の響きを持っていて、民衆の間で受け継がれてきました。アイルランドやスコットランドに美しい民謡が多く残されていることでもお分かりのことと思います。
この音楽が14〜15世紀にかけて大陸に伝えられ、ネーデルランド楽派やフランドル楽派に大きな影響を与えました。これにより純正3度や6度の平行による甘美な響きが支持され、純正な響きとして音律に加えられることになります。15世紀にスペインのバルイトロメー・ラモスという人が5/4の比率を含む音律を提唱しました。しかし、ピタゴラス音律が全盛だったヨーロッパ大陸ですぐには受け入れられませんでしたが、16世紀になって支持されるようになりました。それが譜例3に示したものです。
ここで純正律を五度圏レーダーで図5に表示してみましょう。


図5 純正律

      

この図では、先程の全音階的音階(ピアノの白鍵のみ)に加え、黒鍵に相当する音を加えています。ただし、Esについては、ここでは整数の小さな比率である7/5を使用しています。7倍音を使わなければ45/32を使うのが一般的でしょう。古代ギリシャでは7倍音が普通に使われていたようです。(アルキュタスはテトラコード分割で9/8、8/7、28/27という音程を使用しています。)  
この図を見て、巻き貝のような形をしたピタゴラス音律の造形美を、何者かがズタズタに切り裂いたように感じるのは私だけでしょうか。
犯人は5倍音の連中です。3倍音の美しい渦巻がバラバラに短く切られて、デタラメに張り合わされたように見えます。逆にミーン・トーン支持者からすれば、ミーン・トーンの美しい貝殻をズタズタにしたのは3倍音の奴らではないかと反論するでしょう。これも神様の悪戯かも知れません。
歴史を見てみると、十字軍の遠征でスペインのトレドをイスラムから奪回しましたが、そこにはアラブの巨大な図書館があり、古代ギリシャの文献が残されていました。この中にプトレマイオスの著した「和声論」があり、テトラコードの分割比率がラモスの純正律と同じことが発見され、ピタゴラス音律が唯一絶対の音律ではないことが明らかになりました。テトラコードとはギリシャ音楽の理論を構成するもので、4度音程を分割して4つの音を音律としたもので、それを2つつないで音階としたものがギリシャ旋法です。

西洋の音楽理論はもともとギリシャのテトラコード理論が西洋に伝えられ、
グレゴリオ旋法として存在していましたが、独自の変化を見せて現在の長調と短調の音階に収束します。現在の音階は、「ドレミファ」と「ソラシド」の2つのテトラコードが不連続につながったものだと考えることができます。旋法についてはここでは触れませんので、興味ある人は専門書が多数出ていますからそちらを見て頂きたいと思います。  
旋法としての特徴は和声的な音楽に移行するにつれて、移調や転調の形で長短両音階に取り込まれていきます。純正律ではその調でのそれぞれの和声は美しいものでしたが、問題がありました。それは大全音と小全音があることで、このため転調すると音程幅の位置がズレますので、美しく響かなくなってしまいます。対位法による技法が進むにつれて、ポリフォニーによる和声が重要視されるに至り、純正律では対応できなくなっていきました。


中全音律(ミーン・トーン)

こうした時代背景の中で、ミーン・トーンという画期的な音律が1523年にピエトロ・アーロンによって提唱されました。ピタゴラス音律が純正5度を基調に構成されているのに対し、純正3度を基調に音律を構成する発想が生まれたのです。この音律は、ピタゴラス音律で嫌われていた3度音程を純正にするという特徴があります。つまりドからミまでの22セントの誤差であるシントニック・コンマ(これは4回の完全5度の積み上げで出ている)を1/4(5.5セント)づつ縮めて純正にすることでした。これにより、純正律で大全音と小全音があり不都合だった点が解消され、レの位置がドとミの真中になりますので、中全音律と呼ばれることになります。「ミーン・トーン」とはこのような意味です。
中全音律を図6に出しましょう。
非常に面白いと思いませんか。ピタゴラス音律と対称になっているんです。
今度は左回りに開いていく巻き貝です。ピタゴラス貝を裏返して見たのと同じです。この図をよく見るとその事がよくわかります。ウルフの位置は同じですが、ピタゴラスではGisでの5度音程差が-22セントでしたが、今度は38セントもあります。 長短3度の美しさが普段使用する調性で生まれるようになりました。ピタゴラス音律とは全く逆になったのです。だだし、5度の音程は少し縮めた分だけ響きが悪くなっていますが、実際に三和音として弾いてみると、ピタゴラス音律よりも美しい響きとなったのでした。


図6 中全音律(ミーン・トーン)

     

この音律は比較的簡単に調律できましたので、チェンバロなどの鍵盤楽器に使用され、バロックの時代に多くの作曲家から支持されました。
ヘンデルはこの音律を好んでいましたし、モーツァルトもこの音律で転調可能な調性を選んでいたようです。西洋ではかなり長い間この音律を愛する人達がいたようで、平均律が全盛になったときに、マーラーはミーン・トーンがなくなったことを嘆いたという話もあります。
ヘンデルのミーン・トーン好きはかなりなようで、転調の窮屈さを解消するため、ウルフがあまり出ないように考案された「分割鍵」(スブセミトニウム)が発明され、使用したそうです。これはどういう事かというと、今まで話題にしてきた音律というのは、平均律を除いて「開いた音律」という共通点を持ったものです。つまり音列としては、素数倍音による純正な響きを基盤に求めていたため、オクターブを越えるとどんどん差が開いて合致する事がなかったのです。オクターブが使えない音階など想像するだけでも恐怖ですね。幾つの音を用意したならば音楽を実践できるのか途方に暮れます。ですから実際は倍音列の中から物理的に1オクターブを切り取り、2倍音としてのオクターブを重ねて使用していただけなのです。平均律のように12音で完結し、オクターブ上下しても数理的に同じになり、連続してつながることがない音律だったのです。  もう少し分かりやすく言うと「異名異音」の音律だったということです。
例えば、D#とEbは平均律では同じ音ですが、当時は違う音として考えられていました。それは今でも同じことなのですが、現在使用している音律が同じ音(異名同音=エン・ハーモニック)になっているので、普段は考えることもなくなっているだけです。このことから、黒鍵を分割して#とbを分けて別々の音とした鍵盤楽器が作られ、ヘンデルは使用したことが知られています。  

実は、ギターにもミーン・トーン音律のものが存在します。ただ見るとアッと驚くおぞましさが、怖くもあり興味もありでいかがなものでしょうか。フレットが直線に打設されずに、切れて取りつけられている部分があります。これは本当に弾けるのかと考えてしまいそうな怖さがあります。私はこの楽器を実物で見たことはありませんが、ミーン・トーンの持つ性質はそのままですから、ウルフも転調の不都合も併せ持つものであることには変りありません。
しかし、少し工夫すればフレットを直線に打設し、分割鍵に相当する分割フレット・ギターを製作する方法もあります。今までに作られて来たミーン・トーンギターはこうして直線に打たれたフレットに、普段使用する頻度の高い変化音を少し追加して作られています。現在でもある程度の使用に耐えるには、もう少し多くしないと難しいであろうと私は考え、より多く追加した指板の設計図だけは作ってみましたので、後で紹介しようと思います。  
話を元に戻して、ピタゴラス音律も純正律も異名異音の音律ではオクターブの中に沢山の音を用意しなければならない音律であることになります。
しかし実際には無限の音を用意できませんから、音律問題は人が聞き分けられる程度の開きを持つ音程を、如何にして効率良く選び使用するかという問題と言えます。



異名同音の調整音律(ウェル・テンペラメント)

この後、時代は和声優位の方向に進んでいきますが、転調する制限があるのは音楽を創造する上では如何にも窮屈ですから、ヘンデルとは全く違う考え方をする人がいるものです。その代表がバッハでした。
バッハの音楽自体が対位法を基盤とした様式であったためか、和声的な響きだけにとらわれず、あらゆる調への転調が可能なように音律自体を適度に調整して「閉じた音律」を作り、異名同音でウルフを無くす工夫を行ないました。そして生まれた作品が有名な「平均律クラヴィーア曲集」です。
調整音律の発想はヴェルクマイスターが1691、1697、1707年に論文発表して知られるようになりました。
ウルフをなくし全ての調で演奏可能な音律です。こうした音律をウェル・テンペラメントといいますが、バッハは独自の調律を行なっていたようです。
クラヴィーアを練習する時は10〜15分くらいで自らが調律を済ませたということですから、相当に慣れた作業だったと思います。テンペラメントは音律の意味ですから、良く調整された音律がウェル・テンペラメントです。
バッハの後も、弟子であったキルンベルガーやヴァロッティ、ヤング、ケルナー等、異名同音の閉じた「調整音律」を考案する人が現われました。  
当時は色々な誤解もあったらしく、ヴェルクマイスターの調律を平均律であると考えていたり、こうした調整された古典調律を全て平均律であると考えている人もいたようです。本来の等分平均律はこの時期にはメルセンヌが発表していたので数理的にも既に知られていましたし、ギターでは使用されていました。
平均律が一般に普及したのはピアノが市販されるようになった1842年からだと言われています。こうした話題は昭和58年に出版された、平島達司著の「ゼロ・ビートの再発見」以来、日本でも研究が進み、少しづつ実態が明らかになってきました。私が持っている日本の音楽辞典もこのあたりの説明は間違っている記述が多いようです。
ところで、このウェル・テンペラメントの特徴は調によって色彩感が異なるということで、ピタゴラス音律とミーン・トーンの間を五度圏を介して順次移行していくような、ダイナミズムが生まれるとされています。ですからバッハの平均律クラヴィーア曲集は#やbが少ないうちは透明で和声的な響きを持ち、増えるに従って響きに緊張感が増していき、旋律的な響きに向いた内容に変化するということです。
正直なところ、ギターだけしか弾けない私としては関係ないと思ってしまいたいところなのですが、一つどうにかならないかと思ったこともあります。
それはリコーダー教室の発表会で伴奏をする時でした。リコーダーと音程が合わないため、最初はリコーダー奏者が上手ではないから音程が悪いのだと思っていたのですが、チェンバロの調律をしている人に音律は何かと聞いたところ、ヴァロッティですとの返事だったのです。
これでは合うわけがないですね。まあ考えてみれば平均律のギターに近い音律だと言えなくもないですが、Aでリコーダーに合わせると、明らかにギターが全体的に低めになります。それは五度圏レーダー図を見ればよく分かります。例えば、ヴァロッティ調律のリコーダーとAの音でギターを調弦したとしますと、ヴァロッティ音律では五度圏左側のDからGisまでの7つが平均律の0より高く、Cisが同じで、低いものがE、H、Fisの3つだけですし、この和音は演奏頻度が低いのです。
それではここで幾つかのウェル・テンペラメント音律を表示しますので確認してみてください。


          図7

       




          図8

        




         図9

           





          図10


          




         図11

      

このような音律のギターも作れなくはないですが、ぐちゃぐちゃなフレットでさぞかし苦労するだろうと思います。それ以前にそんなギターを製作してくれる人は殆どいないのではないかと思います。
それぞれに多少の違いはあるものの、概ね似たような感じがします。それぞれの音程は形が円に近くなることで、隣接する和音と響きの変化が滑らかになり、0に近づくことで平均律に近くなります。それぞれの円はその音程で美しく響くエリアを通過し、音律の純正度の違いにより歪み方が異なっています。


ギターへの音律知識の応用(調律)

せっかく音律の話をしていますから、少し為になる話をしたいのですが、思い付くことは調弦の方法しかありません。ただし、これは究極の調弦法といってもいいかも知れません。私も電子チューナーを使いますが、これは基音Aを合わせる時やうるさい場所で調弦しなければならない時とか、限られた目的と用途で使います。そしてチューナーの通りにはしません。最近の目盛りの付いていない機種ではどのくらい正しいのかセント値が分かりませんのでそういうものは使いません。
正直に言いますと、私には正しく気に入ったように調弦出来ないからです。
明らかに耳で調弦する方が心地良くなります。まず最初に調律とはどんなことをするのかということです。馬鹿にするなと思われる方がいるかもしれませんが、意外と考え違いをしているのではないかと思います。美しく響くように各弦を適正な音程に合わせることですが、その美しく響かせるというところの意味が少し違うのではないかと思います。調律とは音律のとおりに各弦の音高を調節することです。つまり、美しく響くこと=純正に響くように調律するということではありません。
具体的に言いますと、平均律に従って各弦の開放弦を調律することです。
ギターは基本が4度調弦ですから、純正の響きとは2セントの差があります。違いが分からないようなその僅かな音程だからこそ、純正に合わせることと勘違いし、実は調弦を進めるうちに差がどんどん大きくなっていきます。
違いが分からないから美しい響きに調律すると思ってしまいがちですが、それが調律で行なう意味を勘違いする根源となっているのです。

美しい純正な響きで調弦するとどうなるかを考えてみましょう。
まずD弦を基準に7フレットのハーモニックスでミの音を出しますと、純正の5度音程ですから+2セントの高さになります。
その音と同じ音程にE弦の5フレットのハーモニックスを合わせますから、E弦の開放弦はその2オクターブ低いミとなり、+2セント高く調律されます。
同様に@弦もミで調律すれば同じ結果となります。
次にC弦に移りますが、今度はD弦の5フレットのハーモニックスは完全な2オクターブですからいいのですが、7フレットは開放弦よりも+2セント高いのですから、C弦の開放弦はE弦とは逆に−2セントの高さで調律されることになります。
同様にB弦とC弦をハーモニックスで合わせますと、更に−2セント低くなり−4セントになります。
残りはA弦ですが、これはやり方が人によって異なるでしょうが、例えばE弦の7フレットのハーモニックスがシですから、これに合わせますとE弦が既に+2セントですから、シの音は+4セントになります。 この結果、B弦のソとA弦のシは8セントの開きが出来ます。
元々平均律の長3度は純正に対して+14セントも高いのですから、合計で+22セントの音程関係になってしまいます。これはGの和音でありピタゴラス音律の長3度と同じです。美しくなるようにとしっかり合わせたはずなのに、嫌われたピタゴラス3度と同じ響きになってしまった訳です。 この結果は、美しく響くように合わせるという意味を勘違いしていることによるものです。
チューナーを使えばこの音程は平均律の0ですから、美しくはないといっても我慢が出来る程度です。

この例でお分かりのように、調弦とは使われている音律のとおりに音高を合わせることであることを理解しなければなりません。 私もチューナー通りにしないと言いましたが、これは平均律を少し壊してでもいいから、少しの違いを生み出して特定の場所で響きを良くしたいと思っていることにほかなりません。多分多くのギター奏者はそうしたことを普通に行なっているものと思われます。調律に自信のある人は悪あがきしてみるのもいいかもしれませんね。  平均律の調律をする時に、電子チューナーがなかった頃のピアノ調律師は
どうしていたかというと、昔からの方法で「うなり」を数えていたということです。それは1秒間に4〜5回の「うなり」となるように調律するというものです。
私もギターの調弦で現在はこの方法を使用しています。
この方法は最終チェックに使いますが、まず始めに通常通りにD弦の開放弦を基にEC@と開放弦で合わせ、次にEからAを、CからBを開放弦で合わせます。それから隣接弦との具合を5、4フレットで押弦して確認し、ミの音を各弦で確認してから、最後にD弦の開放弦Aとその他の各弦のCisの長3度の「うなり」を数えます。
ABC弦では同じ音程ですから10度の音程(オクターブ+長3度)の「うなり」が、いずれも同じになるように調整します。その後は@弦とE弦の9フレットのCisで、同じように「うなり」数が同じになるよう調整して終わります。
つまり、D弦を基に他の全ての弦でのCisの音程で生ずる「うなり」を統一することです。ギターの調弦で一番難しいと感じるのはABC弦のバランスですから、耳で調弦する場合の一番確実な方法であり、これ以上のチェック方法は無いのではないかと思っています。  
普通は「うなり」のないゼロ・ビートで合わせるのが一般的ですが、私が思うに、ユニゾンやオクターブでは許容範囲が広過ぎてポイントを判断するのが難しいように思います。
つまり、「うなり」の出ない部分がかなり広いと感じています。多分これは我々の感覚限界からくるものではないかと思いますが、5〜6セント位の幅を感じています。それに引換え長3度でチェックする時には、あらかじめほぼ正規な状態に調律されているため、平均律の「うなり」が確認できますので、「うなり」の回数でその弦が高いか低いかが分かりますが、純正音程では僅かな「うなり」では高いのか低いのか判断することが難しいと思います。
この方法ですと、少しの音程変化でも「うなり」の数が変りますから、糸巻きの
アソビが少なければ楽に修正できます。最悪でも「うなり」の数をそろえておけばD弦だけがズレているだけになりますから、この方法が究極だと考える根拠です。  
その前にフレットや弦の精度、押弦技術の問題もありますし、糸巻きの性能も影響が大きいと思いますが、隣接弦の僅かな音程の違いでも各弦をバランスよく平均律に近づけることが調弦の極意であると考えています。このことは調弦によるズレが各ポジションでどのように変化するかパソコンを使ってシミュレートしてみるとよく分かります。 現在は楽器と弦の精度もかなり向上していますので、こうした細かな音程の違いにも敏感に反応してくれますから、
美しい響きをつくるためには疎かにしないことが大事であると思います。


各種音律を分類整理

純正律、ピタゴラス音律、中全音律は基本的な考え方として異名異音の音律です。しかしこの音律を実践しようとすると、理論値の音列の中から1オクターブの12音を切り取り、その何オクターブかを重ねて音階としてつないで使用することになります。あくまで純正律は響きの目標であり、その他の音律はその純正な響きに近づこうと努力した結果生まれたものです。
そこには3倍音と5倍音のせめぎ合いがあり、ピタゴラスは純正5度(702セント)で一定の5度音程を取り、ミーン・トーンは純正3度(386セント)を採用し、長3度の間隔を均等にしたため、5度音程(696セント)も一定になっています。
平均律も均等ですから5度は当然一定(700セント)で、つまりこの3つの音律は5度音程の違いという点だけで特徴を明確に区分することができます。
私はこれらの音律を「5度定率音律」と称して整理しています。 平均律はこの両者の間に位置しますが、5度音程ではピタゴラス寄りです。そして平均律は全てを均等にしてオクターブが完全に一致するよう設定したため、1オクターブで完結する「閉じた異名同音の音律」になりました。
純正律、ピタゴラス音律、中全音律と自然倍音の現象をそのまま音楽に取り込もうと試みた「開いた異名異音の音律」は、人間が無限の音を操作することができないという現実の前に、夢物語として終焉することになります。  
これに替わって生まれた音律がヴェルクマイスターを始めとする調整音律ですが、オクターブで完結する閉じた異名同音の音律です。
考えようでは平均律も調整音律と位置づけることが出来ると思います。
ただしこれはメルセンヌがそれを意識して考案したというよりも、その方法が調整音律の考え方を内包していたというべきでしょう。
メルセンヌはフレットを持つ楽器で有効に使用できる音律として、つまりフレットを直線に打設可能である方法として発表した音律であるのであり、実践を考えた上での方法論であるといえます。調整音律とはまさに実践を前提とした音律として生まれたものです。  

ここで各種の音律を分類整理してみます。
*自然音律(開いた音律):純正律、ピタゴラス音律、中全音律
*5度定率音律:ピタゴラス音律、中全音律、平均律、等分音律
*調整音律(閉じた音律):平均律、ヴェルクマイスター、バッハ、 ヴァロッティ(ヤング)、キルンベルガー、 ケルナー、他


実践としての等分法

音楽の現場では実践を考えて具体的な音階を作らなければなりませんからその方法が必要です。昔から行われてきたのが等分法というもので、1オクターブを何等分かに分割したものをその最低単位とし、その単位を何倍かしてそれぞれの音程を構成する方法です。この単位をコンマといいますが、これは既に述べたピタゴラス・コンマやシントニック・コンマとは全く違います。
近似法ではありますが、この手法は作る音律の5度音程を純正に限りなく近似させることのできる等分数を採用することで、簡単に模擬音律ができてしまいます。そして具合がよい数は12、19、31、43、53、55などです。
一番シンプルなものが12等分で、つまり現在使われている平均律であり、全く無駄がない完璧な構成です。色々ありますが面白いことに、この等分法で純正律にかなり近い音律を作ることができ、等分純正律といいます。
31等分で中全音律(純正−1/4コンマ)、53等分で等分純正律(ピタゴラス音律もここに含まれる)、55等分で純正律と中全音律の中間になる55等分律(純正−1/6コンマ)が構成できます。
平均律が普及するまでの古典からロマン派の時期には、55等分純正律が人気を集めて使われたようです。この等分音律を表3で見てみましょう。


表3 等分音律



数値では掲出しませんが、等分音律でありながらも、本来の理論値と比較してみても1セントの誤差しかありませんから、耳で聞いて本物とその違いを判断することはできないと思います。  
このように、ピタゴラス音律は5度の純正音程として、ミーン・トーンでは3度を純正とするために5度を6セント縮めた音律として、この両極の中に約2セント間隔で平均律と55等分純正律が位置することになります。
この他にも古典音律の中にはピタゴラス・コンマを幾つに分散するかで異なる音律が存在します。


ミーン・トーン・ギター(分割鍵仕様)

等分音律を使用することで、フッレトを持った楽器はフレットを直線に打設することができます。その典型が平均律であり、メルセンヌが提唱したものです。つまり、等分音律はフレットを直線にすることができるという意味ですので、ここで私が設計考案したミーン・トーン・ギターを紹介しましょう。
先のミーン・トーンの項目ではフレットが切れたものがあると言いましたが、等分法を使えばミーン・トーンはフレットを直線に設定することができます。既存の楽器がそうしなかった理由は、本来異名異音の音律でありながら、実践上はオクターブの純正を崩すことができないため、1オクターブだけの音しか実際に使用しなかった事によります。
これは分割鍵でも同じことが言えます。拡散する音律の一部だけを使って和声的にも良好で、全ての調で使える音楽を作ろうとすることが論理的に不可能であることを知らなかったのでしょうか。
その当時は科学的に音の研究がそこまで進んでいなかったため、数理的な理解までに至っていなかったのかもしれません。あるいは、解っていながらも美しい響きを生み出したかったのでしょうか。  

さて楽器の構造ですが、このギターは1オクターブで12フレットのミーン・トーンではなく、異名異音を実現する分割鍵(スブセミトニウム)を模したギターです。彼のヘンデルが愛し続けたミーン・トーンで、異名異音を実現しようと製作された分割鍵は、当時かなり製作されたようです。分割鍵は各種あるようですが、19鍵のものが一般的でしょう。ですからギターでいえば1オクターブに19フレットを打設することになります。
もともとギターでは全ての調を弾くことはほとんどありませんので、このギターの設計でも対象とする調は、ピアノの白鍵調に限定する程度の制限を設けてもいいのではないかと思います。つまり長調では五度圏でF〜Hまでの7調とその平行調である短調7調です。
管楽器の伴奏をする時などは、もう1つか2つb系列にシフトした方がいいのかもしれませんが、取り敢えずここでは白鍵の調を想定しようと思います。  
黒鍵に相当する部分を2フレットに分割しますから、演奏する時にどっちのフレットを押えるか迷うことになりますが、慣れれば何とかなるのではないかと思います。問題はセーハが使えなくなる押えがでることですが、分割鍵であることで純正3度を実現しようとするのですから、多少の制約は覚悟する必要がありそうです。  
このミーン・トーンは31等分音律で近似させる方式です。
その違いがどの程度か図12で見てみましょう。


図12  31等分中全音律

       

第6図と比較して見てもほとんど同じです。偶然なのかも知れませんが、神様はこんな数理を用意しておいてくれたのですね。本当に不思議な気がします。ところで31等分することで19フレットですから12フレットを間引くことになりますので、どれを間引くかという問題があります。
対象とする調性を考慮すると、表4のようになりました。余分な音も含まれていますが、あればそれなりに多くの調で使用できますから、ギター製作上の作業も考えて、フレットは分断しないで全て@弦からE弦までつながったフレットとします。
普通のギターと比較すると、フレット間隔が狭いところでは約1/3になることになりますが、マンドリンのハイポジション等を考えると、ギターでも大丈夫ではないかと思えます。弦の振幅が大きいことが気になりますが、通常の12フレットまでの使用に限定して使うことを考えれば、使えるのではないかと思います。12フレット以上は間隔が狭くなりますので、使用頻度が低いこともあり、白鍵(ダイアトニックスケール)に相当する音のみが出るようにするといいのではないかと思います。 そのフレット仕様を表4に示します。


表4 フレット仕様(理論値)

     

このギターを私はダブル・フレットと呼んでいます。分割鍵という呼び方に合わせて分割フレットと言っても意味が分かりませんからね。  
二重にしたフレットは、通常ではどちらなのかということを示すために、フレット番号を上下に書き分けてあります。ポジションマークをポジションによって形を変えて、多めに付けておくと良いでしょう。例えば通常の7フレットは「●」で、3、5、10フレットは「▲」、残りは中点「・」等がいいのではないかと思います。
何だか昔よく露天商の人が使っていた「棒はかり」のような感じになりますね。これもご愛敬ということで微笑ましいかもしれませんね。
あるいは昔のギターのように指板面にマークするもよし、飾りと考えれば美しい模様をデザインしてもいいかもしれません。このようにして出来上がったフレット・ボードの音の配置を表5にしました。


表5 フレット・ボードの音名

       

分割されたフレットで通常のフレットに相当するものは、@弦からE弦までのうちのどれかに、必ず白鍵に相当する音が含まれます。
そして、低い方が#に対応し高い方がbに対応します。例えば、@弦の2フレットのF#は3フレットになり、Gbは4フレットになります。
これは5度が狭いために起きることで、平均律では一致してエン・ハーモニックとなり、ピタゴラス音律では#とbの位置が逆になりますので、これも面白い現象です。あまり使わない音だと思えば、その部分のフレットを除去してしまえば使いやすいかも知れませんが、フレットを打設するのが大変になりますから困ったものです。  
この表の中でFxとはFのダブルシャープ、HwとはHのダブルフラットのことです。このようにして異名異音の音楽が再現できることになります。
この音律を愛したヘンデルの作品などを弾いてみたいものです。とは言え、これは構想の段階の話ですから、このギターが製作されたとしても、果たして演奏が可能か既存の楽譜で大丈夫なのか、全く気付いていない大問題が隠れていないか検証してみる必要があります。むしろ、そのことの方が楽器製作よりも深刻な難問を抱えている可能性があるかも知れません。
むしろ楽器としては構造的な工夫の余地はあるとしても、音律としてはギターよりも木琴や鉄筋などの打楽器の方が向いているかもしれません。


その他の音律ギター

このミーン・トーン・ギターだけでなく、55等分律(私はこれをハーフ・ミーン・トーンと呼んでいます)を使用して、全く同じ要領で作ることができます。
しかし、フレット間隔が狭くなるため、押弦や弦のビリ付きなどが気になりますので、余分なフレットを削除する方が賢明ではないかと思っています。
フレットが切れ切れになるのならば、いっそのこと調整音律で作ったほうがいいかも知れません。
ハーフ・ミーン・トーンでの半分を5度純正に戻したものがヴァロッティですので、美しい響きになるものと考えられますし、フレットも12でエン・ハーモニックですから馴染み易いかも知れません。リコーダーの伴奏などをする時は、その笛が何の音律で作られているか考える必要があるでしょう。
ヴァロッティは現在でも多く使われていますので、もし作ることができれば試してみたいと思います。その他にもヴェルクマイスターやバッハが使っていたであろう調律も同様に作れるはずです。 そう言ってはみたものの、ズレ放題の切れ切れフレットが指板に並んでいても、効率よく弾けるとは思えませんので、ギターで使用する音律は既存の古典音律をそのまま利用することは難しいでしょう。ギターの特質を考慮した上で、フレットのズレを和らげる工夫をした音律を新たに作成したほうがいいと思います。 次の項で実際に私が作成した音律を使って、何とフレットを切らずに曲げることで、実現させた実例をご紹介しましょう。
その前に、純正律のギターについて言及しておこうと思いますが、これまで幾つかの試みがなされているようですが、私には純正律のギターをどうしても構想することができませんでした。
基本的に無限に拡散していく倍音列を有限個の楽音として取り込むことは不可能ですから、実践するためには人の感覚限度を考慮した近似法を使って行なうしかないでしょう。さしずめ53等分純正律によりフレットを間引き、限られた調性に対応する本来のダブル・フレットと同様な方法で具体化するか、もっと別の何か良いアイデアが無い限り夢物語でしかありません。
ハリー・パーチのモノフォニー理論を具体化するようなアイデアがギターに適応できれば、どんな音楽が出来るのでしょうか。あるいは、純正な響きを使った夢の音楽は、もしかすると電子楽器でコンピュータ制御するしか方法がないのかも知れないと思っています。


音律研究に駆り立てるもの

平均律が全盛の時代にあって、更なる音律を求めつづける動機はいったい何でしょうか。平均律は4千年以上もの永い音律希求の末に辿り着いたものであり、実際に普及してから現在まで百年を越える長きに渡って究極の音律として支持されてきました。それがここにきて、どうして古典音律に関心が高まるのか、再考してみるのも意味のあることかもしれません。  
平均律で不満が残る要素としては、数理的には3度音程の濁りだけではないかと考えられるのですが、平均律に批判的な人は別な言い方をするかもしれません。
調整音律が平均律にその座を奪われた時に、著名な人々から言われたことは、純正な響きと決別した上に、各調における色彩感や特徴が失われたということでした。こうした調による性格の違いは単に音高だけでなく、物理法則を知っての上か知らずか、和音の濁り具合を均一にすることができず、多様にせざるを得えない数理的な関係から生まれたものでした。 つまり、その特徴は最初から求めていたことというよりは、純正に近い3度を創り出す結果としての反作用としてもたらされたものでした。そして良い響きを求める一方で、平均律よりも強い濁りを含む響きがあるにもかかわらず、その濁りを受け入れる姿勢が貫かれていました。濁りを拒否する人と受け入れる人とでは、如何なる考え方や感じ方の違いがあるのでしょうか。 歴史を一本に貫く流れとして、純正音程の響きを求める要求が立場や考え方の違いを越えて連綿と流れていたからであったと言えるでしょう。
しかし、ここまで長い年月をかけて混迷を続けた理由は、純正な響きをもって音律を構成するということが、数理的な矛盾命題であるとして理解されていなかったからこそ、実用の観点からどのように選択するかが、そうした考え方の違う個々の判断にゆだねられていることにあるのではないかと考えられます。

一つの考え方として、少しの濁りであっても常に続くことによって、ある人は慣れによって我慢し納得するが、別の人は不快感が蓄積して我慢できなくなることが考えられます。濁りを不快と感じる程度は実際に調査しなければわかりませんが、音律問題に関してのこのボーダーラインは微妙な位置にあるような気がしてなりません。むしろエリアが重複しているグレイゾーンなのかもしれないと感じています。  
もう一つ考えられる要素として、濁りの程度が違うことにより、強い濁りの後では少しの濁りが美しいと感じることは考えられます。つまり比較作用の効果であり、一様でないことが美しさを生む原因であると言えなくもありません。それとは全く逆の感じ方として、それなりに我慢できる響きが続く中に、時々我慢できない強く濁った響きがする為に嫌われるのかもしれません。
つまり、響きに対する人それぞれの要求が異なっていることが原因であるようにも思えます。 私はこうした思いを確かめたくて、実際に製作してみようと考えました。幾つかの製作候補が考えられますが、まずは一番現実的で失敗が少ないものを選定しようと考えました。

ダブル・フレットは構造が今のギターと違い過ぎるので、気付かなかった問題点が出てくる可能性が強いためパスしました。既存の古典音律をそのまま使うとフレットが切れ切れにならざるを得ませんので、これも候補にあげ難いものです。そこでギター向きの新たな音律が設計できないかと考えました。


ギターで調整音律の実験  

最近ではギターの世界でも19世紀ギターが使われるようになり、古楽器の再現が多くなっていますので、その分野においては古典調律を実践している人々もいるようです。しかし、ギターはフレットを持つ楽器ですので、音律は平均律が適していると理解されて来ましたので、それ以外の音律は余り使われておりませんでした。 これに果敢に挑戦したのはギター奏者の西垣正信さんでした。氏はご自身で開発されたN-sysというフレッティング・システムを使い、ギター製作家の田中清人氏との研究で、フレットを切らずに小さく曲げることで実用化し、そのギターを使って録音されたCDも発売されています。 これは各弦の長さを微妙に変えて12フレットを中心に張り、ナットとサドルをギザギザにして、フレットのズレを最小限に設定することで実現しています。  
私はこのシステムを採用せず、ナットとサドルは従来通り直線にして、音律そのものをギターに合わせて変更することで実現しようと考えました。一般的には古典音律を使用する場合も、何らかの音律の変形を伴っていますので、新たな音律を考えても大差がない訳です。そのほうが楽器の構造上からも音の響きに与える影響を減らすことができ、安定した音程を維持できると考えました。  
楽器の製作は、既に古典楽器の製作で実績のある田中清人氏に依頼し、満足のいく仕上がりとなりました。ここで、私が採用したギター用の調整音律がどのようなものかご紹介する前に、音律の数理を理解する上で参考になるであろうと考え、私なりの音律史の整理と音律調整の目標を整理しておきます。


音律史の大胆な要約

.純正律は純正音程を寄せ集めただけで音律間の相互音程を考慮しなかったので失敗した。
.ピタゴラス音律は純正5度であったが、3度音程が美しくなかったので敬遠された。
.中全音律は純正3度であったが、5度がそれ程美しくはなかったし強烈なウルフが潜んでいたため対策が必要であった。  

こうした経緯から次第に純正音程に固執しないで、音律を調整して様々な調で利用できるように各種の音律が登場したが、フレットを持つギターではメルセンヌの提唱した平均律以外に応用することが困難であった。  
この事実を踏まえた上で、ギターで調整音律を実現するためには、新たな音律を構想する必要があり、その実現のために次のような設計目標を掲げて取り組むことにしました。


音律調整の目標

.平均律よりも美しい響きを創り出す。特に3度音程は純正(-14)との中間(-7)よりも良い響きを作る。
.ピタゴラス音律の3度よりも悪い3度を作らない。つまり+8セントより大きくならないこと。
.中全音律の5度よりも悪い5度を作らない。 つまり-3セントより小さくならないこと。
.使用頻度の高い和音に美しい響きを配置する。 つまり白鍵を根音とする和音(ダイアトニックの三和音)に配置する。
.響き方の変化は五度圏に沿って滑らかに変化するように設定する。こうすることで、ある調性内で響きのバランスをとることができる。
.ギターで使用可能なフレットのズレ幅(4mm未満)となるように設定する。  以上の目標をすべて満足する音律を作りだすこととしました。

もともと歴史上で調整音律が生まれた背景は、純正律での苦労も3倍音(5度音程)と5倍音(3度音程)の共存が目標でしたが不可能であり、5度のピタゴラス音律と3度の中全音律の間を滑らかに移動できる五度圏を作ることが必要とされたということにあります。  
考え方の違いで色々なものができそうですね。バッハが平均律クラヴィーア曲集で示した方法は純正3度を2つの和音で実現していたようですが、ピタゴラス音律の3度を越えるものは4つありました。ギターではフレットを切らないと実現できない音律ですね。純正3度へのこだわりを感じさせます。  
私はこの作業をしながら、何故このようなことをするのか自問自答し、調整音律を構想する一番の目的は、限られた範囲でもいいから純正な響きに少しでも近づくことだと結論づけました。
そしてバッハの音律は納得のいくものだと思いましたが、ギターでは構造上の制限から純正度を半分程度にせざるを得ませんし、平均律によって進化した現代の音楽に生かそうと考えるならば、ある程度の数の調性をカバーしなければ使用範囲が大幅に制限されてしまいます。こうして完成したギター用調整音律は、ピタゴラス音律と中全音律の5度音程のセント値を半分程度にして繋いだハイブリッドであり、次のような音律となりました。



図13 ギター用調整音律

   

この音律ではD,Aが綺麗に出るようにしています。Gはギターの調律上の都合により、フレットの曲りを小さくするため、響きは少し良くなる程度にする必要があります。C,F,Eも全体を馴染ませるために、僅かな改良に留めざるを得ませんでした。


表6 ギター用調整音律

    

五度圏における各音度の合計がそれぞれ0になる事は簡単に証明できますが、直感的にも理解することができるでしょう。長3度音程は4半音ですから割り切れて、
C+E+Gis = G+H+Es = D+Fis+B = A+F+Cis = 0 という関係になりますが、フレットのズレ幅4mm未満を実現するためには、概ねGis3度−G3度≦11が満たされないとギターでは条件をクリアーできません。更に、無理のない滑らかな変化とするためには5度音程の安定が必要ですし、音程を乱す最大の敵は弦の精度ですから、このランダムな予測のつかない乱れを防止する方法はギクシャクした音律を作らないことになります。

こうした理由から、この程度の調整が無難な線であろうと考えました。
鍵盤楽器とは事情が異なり、どうしても平均律に近いところで実現させることになり、それがギターの宿命なのかもしれないと悟りました。  
ひとつ大事なことは、この音律を使った場合は変調弦に向かないことです。
チューニングが違う関係で、E弦をDに下げると音律が狂います。その違いは±4セントですが、調や曲によっては不快になることが予測されます。
これを回避するためには、ナポレオン・.コストのように7弦ギターにして、
F弦をDにする方法が考えられます。次の図で、フレットの曲り具合をよくご覧になって頂きたいと思います。一番大きな曲りは第1フレットで、3.9mmですが、少し慣れればこの曲りは気にならなくなると思います。


図14 フレットの状況

      


音律の歴史を辿ってみると、制限の多かった純正律から次第に発展し、和声的にも調性的にも自由になれた平均律までの間に、音楽が著しく変化していることに気付きます。モーツァルトもベートーベンもショパンも平均律ギターは知っていましたし、古典調律ピアノを演奏していました。平均律よりも美しい部分があるといっても、響きが今一つというところもあるため、作曲する上でも制限がおのずとかかっているように思います。 ですから、こうした音律を使用する楽器はそれなりの制限を受け入れなければならないということでもあります。そうならば最初から利用する調の範囲を分けて考え、2、3種類の楽器を用意すればいいのかとも考えますが、経済的な負担が大きくなり過ぎる問題が出て来ます。こうして考えてみると、平均律ギターというものは無駄がなく実に良くできたものであることが理解できます。それでも響きはもっと良くならないかと考えるのは人間の性なのでしょうね。


新たな音律の実験結果

今回、新たな音律のギターを製作する前から、実際にヴァロッティ音律で調律されたチェンバロの演奏を何度も聞いていましたので、古典音律で響きが美しいものがあることは承知していました。そしてヴァロッティ以外の音律がどのようなものか、インターネットで提供されている資料をチェックしていましたので、古典音律もだいたい分かっていたつもりです。  
その上でこの楽器を弾いてみた感想は、素直にかつ正直に申しますと「結構響きが綺麗だし、想像していたよりは濁りが少ない」ということでした。普段は私達が平均律に慣れているために、多くの人はそれほど差がないという印象を持つのではないかと思います。ですが音律も人の嗜好と同じで、この響きは気に入れば平均律を使いたくなくなるかも知れません。
良い響きを選べば悪い響きも付いてくることは、音律の数理によって明白ですから、私にとっては想定していた範囲でした。そして私の考案した音律は、基本的にヴァロッティより美しくはならないだろうけれど、濁りは軽減するだろうと予想していたことでもあり、この結果は納得をしています。  

もう少し細かく、目標とした項目がどうなったのかを検証したいと思います。
この音律の第一の目標である美しい3度の響きが得られたかという点については、これは予定通りのものとなりました。良い響きのレベルを平均律と純正律の中間である−7セントよりも純正に近いことが必須であるとして設計し、AとDの2つを−8に設定しました。出来ることならばもっと純正に近づけたいのですが、音律の歪みが大きくなり過ぎて濁った響きが強くなってしまいます。純正の響きがある程度実感できるようにするためには、この程度は必要であると判断したからです。良い響きを作ればそれと同等の悪い響きが抱き合わせになることを受け入れなければなりませんので、限度があるということです。  

第二の目標は悪い響きを極力減らすことですが、こちらはかろうじて及第点に滑り込んだという感じです。ピタゴラスの3度より悪くない3度と、中全音律よりも良い5度の響きということで、5度は−2までとし、3度は+7までに留めました。弾いてみてこれはぎりぎりの線だと感じましたし、色々な要因で実際は警戒線を越えてしまうことが起こるであろうと感じました。
平均律に慣れている私達には、古典音律は良い響きがするというよりも、濁った響きのほうが気になるのではないかという気がしています。何故ならば、慣れている平均律が一番濁りが小さな音律だからです。根拠のない穿った見方をすれば、音律が研究され沢山の種類が作られた原因は、どれも濁りを許容範囲に収めることができなかった事ではないかとも考えられます。
美しい響きを作ろうとしたが上手くいかず、濁った響きを減らす方向で終息したのではないでしょうか。  

第三の目標である、良い響きを普段良く使う和音に配置することについては、計画通り上手くできたと思いました。白鍵調での長3和音で響きを良くし、黒鍵の調で泣いてもらう訳ですが、特にシャープ6〜9個(フラット3〜6個)までが厳しくなります。別の言い方をすれば、低音弦3本の開放弦を根音とする長三和音が美しくなったことです。  

第四の目標は調性内での響きを馴染ませる事ですが、これも比較的上手くできたと思います。ひとつの調でも色々な和音を使いますので、ギクシャクしないように使用頻度の高い主要な和音の響きをすり合わせておく必要があります。

第五の目標はギターのフレットが曲り過ぎて演奏しにくくならないように計画したことですが、これもすぐに慣れて全く気にならないものでした。当初この曲りをどのくらいに計画したら良いのかが分かりませんでしたが、過去の経験から4mmが限度ではないかと、ギター製作家の田中清人氏からアドバイスを頂き設計しました。私の印象ではもう1mmくらい曲っても大丈夫ではないかと思いました。

このようにして、第一の目標が第二以降の要素によって、思惑がどんどん縮小され修正されていき、各種の古典音律と比較してみると、目立った癖もなく至って大人しい音律として完成したという印象が残りました。この実験を通して一つ重要な事がわかりました。ギターは色々な楽器と比較してみても倍音が豊かに鳴りますし、それがギターの魅力の大きな要素となっています。この性質から、あまり純正な響きから離れてしまうと、魅力が半減してしまうということです。特に開放弦の音が純正と差があり過ぎると、調律をする上でも疑問を感じてしまうことになり、良い結果になりません。6本の弦を開放弦でバランと弾いた時に、強い「うなり」で響きが安定していなければ、演奏する気にもなれないでしょう。その点バイオリンは完全5度ですから、調律は易しく響きも美しくなりますが、開放弦はあまり使いません。ギターでは和音を弾く関係上、開放弦を使用しないと演奏上も作曲上も制約が大きくなってしまいます。
ギターの特性をあらためて認識させられたことでした。


新音律を体験して考えたこと

当初の疑問であった「平均律がこれだけ普及したにもかかわらず、何故新たな音律が求められるのか」という命題は、歴史や本では誰も教えてはくれませんし、また自身でしか判断できないことだと考えて、今回の実験に行動を移しました。
結局のところ私が結論付けたのは、「紀元前のハルモニア論から続く音律の歴史は、純正な響きを求めたが実現できず、その結果として濁った響きを少しでも減らす方向に向かい、平均律に辿り付いたのだけれど、純正な響きに対する欲求は消えていないのだ」ということでした。
メルセンヌが平均律を具体数字として発表してから200年もの間、ギターなどの一部の楽器の音律として使用されたけれども、音楽一般の標準音律として容易に受け入れられなかったのは、純正の響きに対する信奉があったからであり、その思いを断ち切れない未練が多くの人に残っていたからではなかったかと思えてしまいます。
そして平均律が市販ピアノの標準音律として使用されたことで普及はしたけれど、その後更に150年以上も経つ今でも、古典調律を惜しむ人が少数であれ生き続けているということでしょう。もしかすると、ギターが簡易楽器としての評価を受け続けた理由はここにもあったのではないかと思えてなりません。
つまり、変な言い方をしますが、平均律が一般に認められるまでの間は、ギターはいい加減な音律できちんとした音程も出せず、簡易なお遊び楽器だという冷ややかな見方がされていたのではないかと思えます。二十世紀に入ってからその呪縛が解けたことでギターの魅力が認識され、社会的に認知されるようになったのではないでしょうか。
私がギターを始めた頃は、低俗な楽器であるとのイメージがクラシック音楽の世界には残っていたように記憶しています。私自身はこのギター用調整音律がギターを効果的に美しく響かせる音律であると思っています。
その程度はそれぞれの感じ方の度合で異なるとはいえ、この響きに馴染んでくるに従って、自身が如何に平均律の響きに慣れてしまっていたかを痛切に感じるようになりました。

使用した感想を総括すると、これは好みの問題になるであろうという気がしました。当然、私は少しでも響きが美しくなる事を望みますが、その代償は調律に多大な神経を消耗するであろうことです。ある人は、これだけの苦労をしてこの程度の響きでは割りに合わないと思うかも知れません。ですから調律に自信のない人には勧めることができません。現在は電子チューナーを使う人が増えましたので、この機械が良い相棒になることでしょうが、それだけで解決しないところが問題です。音律を狂わす原因は調律だけではなく、弦の不良や押弦技術も関連しますので、ある程度の演奏技術を持った人がこの音律に興味を持った時にだけ、試してみる価値があるように思います。  
言い方を変えれば、プラス指向の考え方で、例え少しでも美しい響きがするのなら多少の苦労もいとわないし、ある程度の濁りも受け入れる人と、それとは逆に美しい響きを追求するよりは、可能な限り濁った響きを減らすことが優先されるべきだと考える人との対立になるであろうと思われます。
音律問題とは、そんなどちらとも評価が分かれる分岐点にある難問であるように思います。平均律と純正な響きの対立は、音律の歴史と同じ長さで存在したと私は考えています。数理論が現在と比べて未発達のギリシャ文明の時代でも、アリストクセノスのような平均律に通ずる考え方をする人もいましたし、中国での研究や日本の和算家による研究などもありますから、ルネッサンス期以降の音律史だけでなく、各時代を通じて濁りを中庸な程度に落ちつけようとする意思は存在していたと思います。

現在に於けるこの両者の主張は、双方の争点がズレているように感じています。純正な響きを美しいと感じない人がいるのでしょうか。もしいるとすれば、この美しさは個々人の嗜好の問題となってしまいますから、そもそも議論にはなり得ません。ですから、純正の響きは人間の感性としては「美しいと感じる」と共通理解をもつことから始まるべきものだと思います。この美しいとは心地が良いと言い換えることもできるでしょう。  
一方、濁った響きというか不快な響きがどの程度なら我慢できるかという問題になりますと、これも個人差が大きいものと思われますので、各種の音律支持者の論争が生まれることになります。ですから、平均律の是非論は感性の問題とするよりは、音律構成の方法論や機能論として論議されるべき話題であるように思います。
当然その場合でも共通の認識は美しさが第一の目標とならざるをえませんが、人間の感覚の問題でなく、楽器の種類によって適切な音律は異なることは確かですから、皆同じにして平均律が良いという考え方もありますが、それぞれの楽器の事情に合わせて、より美しい音律を選択したほうが良いのではないかという考え方も出来ます。つまり、何を第一の目標としてどのようなやり方で音楽を再現するかによって、適切な音律を選べば良いのではないかと私は考える訳です。ピタゴラス音律は純正5度に、中全音律は純正長3度に特化した音律です。長短3度を重ねれば完全5度ですし、純正な響きが求められる度合は長3度も5度も本来同じではないかと考えられます。平均律では5度に「うなり」を感じませんが、長3度には4〜5個感じ取れます。これを同じ程度にできないかということがこの実験の隠れたテーマでもあり、間違いではなかったと私は確信できました。

1秒間に1〜2回程度の「うなり」の数は不快感よりもむしろ心地がいいと思うのですが皆様はどう感じられるでしょうか。とてもゆっくりとしたヴィブラートのようで、和音がメロディーを温かく包み、それを優しく揺らすゆりかごのような感じで、もっと言えば抱かれた赤子が母親にあやされているような心地よさがあると思いませんか。最近の音楽では5度の響きを中心にして空虚5度の和音が多く聞かれることも、平均律がもたらした効果のような気がしています。


ギターの将来について

正直なところ、このようなものを作ってどれだけの違いがあるのかと疑問に感じる人も多いでしょうが、美しい響きを求める衝動には抵抗できない要素があります。現在の、行き場を失ったような閉塞した音楽事情の中で、古い音律や新しい純正律を求めて懸命に研究している人もいると聞きます。
最近では、愛知万博で行われた正倉院復元楽器を使用したコンサートも企画されましたが、残念ながら私はそのことを知りませんでしたから聴くことができませんでした。機会があれば是非聞いてみたい音楽です。
ギターでは、ジョン・シュナイダーがフレット・ボードを交換できるように改良したギターで、純正律やミーン・トーンで演奏できるようにし、活動しているということです。新たな風を吹かせることになるのか興味を持っています。  
その反面、ギターは未だに改良が進み異なるタイプの楽器が増殖していて、ギター属という表現まであります。私達が使っているクラシックギターはどうなっていくのでしょうか。私がこの音律のことを勉強している時に感じたことは、手前味噌のようなものなのかも知れませんが、ギターは素敵な楽器だということでした。ある人は平均律が広まったことで、かつて調性が持っていた色彩感はなくなり、画一化された響きだけで転調をしても音高だけが変化するだけの味気ないものになってしまったと言います。こうした失われた色彩感はオーケストラ音楽の発展にともない、多様な楽器の組合せにより埋め合わされてきたといいます。
平均律ピアノが普及したことによる弊害としての面をとらえてそういう考え方がある一方で、調律師のアニタ・T・サリヴァンはそうした意見に反対なようで、平均律は歴史が選んだ音律なのだと反論しています。音楽に対する人間の欲求の中に、不合理で成立し得ない要素を同時に求めてもそれは実現不可能であり、響きの美しさと転調の容易さと演奏の可能な要素は同時に成立し得ないからこそ、平均律が残ったのだと言いたげです。

私の考えはそれとは少し違っていて、まだこれからも音律はどのように変化するか分からない状況で、もしかしたら魔法のようなやり方で純正な響きで自在な転調が可能な理論が出現するかもしれないとも思います。  
もともとメルセンヌが具体数値として発表したことで、フレットを持つ楽器では平均律が最良の音律であるとしてギターは作られてきたわけですが、前世紀あたりからギターという楽器が音楽シーンを席巻してきたことは事実です。
電気ギターの大きな影響力もありますが、視点を平均律に戻してみれば、平均律が普及するのと呼応してギターが流行したということも事実です。
もとはといえばピアノが普及し始めた19世紀後半に、ピアノの基本調律として採用されてから平均律は一般的な音律としての地位を確立しました。
その流れに乗った形で偶然か否かは別として、ギターが注目されるようになったことも事実です。
何故かと考えた時、単純に自分が何故ギターを選んだかという点に立ち返って考えると、それはギターの音色が美しいと感じ、好きになったからです。  考えてもみれば実に不思議な楽器です。弦によって音色が異なるし、左手のポジションによっても変る。右手の弾弦位置や角度でも異なれば、奏法も多種多様です。ピアノにはないポルタメントやスラーやヴィブラートができます。シンプルだけれども独奏楽器としても十分通用するし、打楽器的な効果も出せる何でも屋のようなとらえ所のない楽器だとも言えます。音量は小さいけれどもダイナミックレンジは広いと思うし、こんな万華鏡のような色彩感に溢れた楽器は電気楽器を除けばオーケストラ以外にはないでしょう。
この変幻自在な音色や音質の変化が音楽での多彩な心象表現を可能にするもので、ロドリーゴが言う「ギターの魂」そのものだと思っています。
そんな楽器だからこそ世界中の人々の心をとらえたのだろうと思えてなりません。そのギターに使われている音律が平均律でありながら、ギター音楽を美しくないと感じる人がどれだけいるのでしょうか。  
ピアノ支持者には申し訳ないけれども、先程の平均律に対する批判の言葉を否定しなければ、ギターが普及した原因はピアノの普及に伴い平均律がもたらした砂漠化する音楽大地に、ギターの繊細で多彩な表現力が可憐に咲き誇った一面の花畑のように音楽世界を彩り、多くの人々に受け入れられたことではないかと思えてしまうのです。つまり、オーケストラが果たした役割を実は陰でギターが支えてきたのだと言えなくもないのではないでしょうか。  

私は平均律の響きに満足してはいませんが、それでもよくできた音律だと思います。当然ギターでも平均律に特有な3度は聞こえますが、それでも堪えられないと感じることはありません。5度の響きは大変に美しいものですし、もしかするとギターでは演奏中に奏者が微妙な音程を操作して、少しでも純正に近づけようと無意識に変化させているのであろうと考えています。
またそれが可能であるところがギターの潜在能力の底知れない部分でもあると思います。 ともあれ、ギターはそんな歴史と環境の中で生まれ育った時代の寵児であるような気がしています。
12音の音楽が行き詰まりを感じさせる昨今で、純正な響きに回帰しそうな雲行きも伺えますが、ギターの将来を空想しつつ平均律はギターのゆりかごであると感じています。
 -  おわり -   



注1:平均律の成立については諸説あるようで、文献を漁っても面白いでしょう。紀元前のアリストクセノスあたりから始まって、古いものは中国での研究、そしてヨーロッパにおける古典音律史に登場する多くの理論家たち等、平均律が近代において突然と誕生したのではないことがわかります。

《追記》
1.今までに作られたミーントーン・ギターは黒鍵に対応するフレットが少ししか追加されていないので、このダブルフレットでは多過ぎるのではないかと思われるかもしれません。 ここでは欲張って白鍵を主音とする調において、12音の全てが問題なく出せるように考えた結果で、この楽器は1オクターヴに19音の構造です。通常の12フレットでズレが発生する場所は4ヶ所ですから、そのフレットだけ追加して16フレットの構造にすることも、使用できる調性が狭くなりますが現実的な選択肢でしょう。或いは4ヶ所をフレットを切って設置すれば、12音の正規なミーントーン音律になります。
ハイポジションではフレット間隔が狭くなるため、間引くことを考えてもいいかもしれませんし、部分的にフレットの一部を切り取ってもいいかもしれません。その場合、完全に間引いたフレットを部分的に復活させてもいいでしょう。このダブル・フレットは構想段階のものですから、この楽器を製作されても楽器としての不具合が見つかることは当然に考えられますが、当方では責任を負いませんので、自己責任の範囲で製作してください。
ダブルフレットのフレット位置計算は、端数処理の関係で末尾の数値が正確な計算数値と若干異なる場合があります。

2.フレットの曲り具合については、考え方や演奏内容によって許容範囲が異なってくると思われます。もし純粋な古典音律を使用したいならば、ギターではヴァロッティかヤング、或いはケルナーあたりが使いやすいでしょう。
ヤングはF〜Aまでは問題なく美しいですし、B、Eが平均律程度ですから一番向いていると思います。1フレットだけは曲りが大きいのですが、あとは問題ないでしょう。ヴァロッティはFが中心軸となっていて、ヤングのC中心軸より1つフラット系になりますが、曲りが少し小さくなります。4フレットが一番広く、
650mmの弦長で4.8mmですが、十分に使用できるのではないかと思います。

3.このテキストではバッハの音律を紹介していますが、これは私が平均律クラヴィーア曲集の自筆譜表紙に描かれた螺旋模様を読み解き、その内容から構成した音律であり、世間一般には正式に認知されているものではありません。
この内容は拙文「バッハの音律はこれだ!」で謎解きをしていますので、興味のある方はご覧ください。

4.このテキストは2004年秋にダブルフレットを構想した後で、音律の話をするたにめまとめたものが中心となっているため、Suzuki音律という名はまだありませんでしたし、調整音律ギターに関する部分は、2008年に実際に楽器製作に取りかかる前後に加筆修正しましたので、文章表現での時系列が整合しない部分もあります。調整音律ギターはSuzuki音律「弥勒」を使用した第1号の楽器であり、その楽器による印象を正直に書きました。
現在は第2号の「文殊」が完成したところですが、これも予想どうりの結果となりました。
鈴木音律は1つではなく、この音律以外にもギターのための音律として同じ設計目標を持つ似た音律がありますので、「鈴木音律について」という拙文で解説していますので、興味のある方はそちらをご覧ください。

5.この音律を使用して製作される方は、下記に御一報下さるようお願い申し上げます。
e-mail:suzukimasaru@m6.dion.ne.jp

平成22年3月21日 春分の日に    文責:鈴木 勝



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