作曲家が霊感を得るとき

アーサー・M・アーベルというアメリカの音楽雑誌の記者が、ドイツのヴァイマールに欧州特派員として赴任したのは19世紀の末だということです。ヴァイマールといえば、ゲーテが政治手腕を発揮したことでも知られていますが(18世紀後半)、19世紀から20世紀にかけて文化の中心地であったと言っても過言ではないでしょう。1890年にここに赴任してきたアーサー・M・アーベルは、当地のオーケストラのコンサートマスターの紹介で、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニ、フンパーディンク、ブルッフといった当時の作曲家の大家たちと交流を持ち、1918年に帰国するまでにこれらの音楽家との対話を記録したということです。
最初にブラームスと対話をした時には速記者も同席させたということですから、この様子を活字にし、出版することを前提にこの対話は行われたのでしょうが、ブラームスはこの対話の内容は50年経ってからしか公開してはならないと申し渡すのです。アーベルはこれを承諾し、50年後の1947年にアメリカで出版されます。
その3年後の1958年にはイギリスから出版され、1964年にはドイツで英語版が、1998年にはドイツ語で出版されています。そして2003には日本語版で刊行されたのです
(春秋社)。ブラームスとの対話の内容の主題となっているのは、作曲中の内なる体験を明かにするということなのですが、これはつまり、音楽家がどのようにインスピレーションを受けるのかということです。
ブラームスの云う「作曲中に起こる知と心と霊の過程を明らかにする」という、こういった芸術的創造の根源とも云える事柄をあからさまに口にした芸術家はそれほど多くはないのではないでしょうか。
今でも目にすることのできるベートーヴェンの音楽メモからは、ベートーヴェンは神の存在を信じていたことが伺われますが、ブラームスは「ベートーヴェンは音楽の着想は神から来ると断言している」と云っているのです。こういったことに言及することに付随して、神の問題、当時のキリスト教会の聖書の解釈の問題、それから、当時台頭していたマルクスによる唯物論を非難していることなどから、ブラームスは、こうした同時代の関係者への配慮から50年間の出版差し止めを要求したものと思われます。




アメリカの音楽雑誌記者のアーベルが最初にブラームスと会ったのは1896年ということになっており、当時高名なヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムの仲介で実現したということです。当初ヨアヒムは、天才と霊感について本を書くというアーベルの企画に大いに興味を示し、何度もブラームスを説得したがすべて断られていた。その時はクララ・シューマンも一緒に説得に当っていたが、そのクララ・シューマンが他界してからはブラームスも心中に変化が起こったようで、説得を始めてから4年目にしてようやく実現することとなった。1896年といえばブラームスが亡くなる前年で、ブラームスは63歳でした。この年にはブラームスは肝臓癌であることが判明していて、彼自身余命幾ばくもないことを悟っていたことも、この対話が実現した要因であったのかもしれません。その時の対話の内容について、それをテーマにその後作曲家のリヒャルト・シュトラウス、プッチーニ、フンパーディング、ブルッフ、グリーグといった面々と対話を重ねるのです。
作曲家が受けるインスピレーションというものは、他の分野の芸術家はもちろん、学者や政治家、それから宗教家にも当然あるのだと思いますが、宗教家は別にして、これを明確に認識していることを明言しているということは、あまりなされていないようです。
数学者の故岡潔氏は著書で数学上の発見あるいは証明を得るまでの過程を述べていますが、これなどは大変興味深く、また他の分野のそれと比較することにより、人間の本質といったものの一端を何か知ることができるのではないか、とも思えるのです。
対話の中でアーベルは「現代の作曲家の何パーセントが、本当に神と接触を保っていると思いますか?」とブラームスに質問しています。それに対して、ブラームスは「経験から云えば、真に霊感を受けている者は2パーセントいるかいないかだ」と答えているのです。霊感に満ちた着想をしていても構造を欠いていたり、その逆だったりするとも述べ、こう締めくくっています。「霊感と職人芸を併せ持っていなくては、作品は決して生き永らえることはない」そして、当時の人気のある作曲家を取り上げ、彼らの曲は50年後には忘れ去られているだろうと予言をするのです。その予言は当たるのですが、何故それらの当時の人気作曲家の曲がすぐに忘れ去られるか、ということもブラームスは言及しています。「その作品は意識の心のみで書かれている。純粋に頭の中で作られたもので、まったく霊感を欠いている。彼は誇大妄想に取りつかれているのだ」云々




ブラームスが述べた、作曲するときに受ける霊感にはいくつかの法則のようなものがあり、それについては、その後アーベルと対話をした作曲家たちも同意しています。それとともに、細かいところではそれぞれの作曲家に違いもあって、それが特に興味深いのです。アーベルと対話をした六人の作曲家が、霊感を受けるときに共通していることは、その時に恍惚状態になっていても常に意識は保たれていたということです。このことは「芸術について」という拙文でも少し触れていますが、宗教家と同様に、レベルの高い神がかりはそれを受けている者は冷静に覚醒しているものなのです。
モーツァルトはおしゃべりをしながら楽譜にペンを走らせていたということですが、ここまでくると、さすがのブラームスも完全にお手上げで、バッハやハイドン、モーツァルトは自分とは格が違う、と素直に認めているところも興味深い。それに加え、他の作曲家たちもたいへん謙虚で、グリーグは「私は決して、自分がバッハやモーツァルト、ベートーヴェン並だなどと気取るつもりはない。彼らの作品は永遠だが、私は自分の時代と世代のために書いているのだ。」と述べているのです。ブルッフはグリーグのことを評して、彼は自分と同様、今は持てはやされているが、じきに忘れられてしまうだろうと述べていて、その理由として自分たちが作曲の上で取り入れている民族色のせいだと云っているのも興味深い。
フンパーディングもたいへんに謙虚で、アーベルに対して、自分のことなどを取り上げるよりも、自分の師であるヴァーグナーのことを明らかにした方が読者は喜ぶのではないかと述べ、また、作曲家として比べるなら私はヴァーグナーに抱かれた赤子に過ぎないと口にするのです。そしてヴァーグナーとは今回のテーマ、作曲しているときの霊感について何度も会話を重ねていたのです。
その中から少し拾い上げてみると、作曲家に一流、二流の違いがあるのはどうしてなのかという質問に対して、ヴァーグナーは次のように答えています。「私は神が、ある者には他の者よりご自身を多く顕わされるとは信じていない。私の考えでは、我々は皆生まれた時、神の力に対し同等の関係を持っている。だが多くの事柄が我々に対して不利に作用する。遺伝や育った環境、機会、初期の教育等々。一例としてあげると、無神論的な育ち方をした場合は致命的だ。かつて無神論者が、偉大で永遠の価値を持つものを創造したことはない。」




アーサー・M・アーベルがブラームスと対談をした頃の19世紀末の時代というのは、これまでの随想で時折触れてきたことでもありますが、マルクスによる唯物論が台頭していた時代であり、それと付随するように、ニーチェ、キルケゴールといった実存主義者による厭世的な思想も世に広まっていました。これはダーウィンによる
進化論の影響を受けてのものだと思いますが、人間がこの世に生まれてきたのは偶然であり、そのような偶然の産物である人間という物体が音楽に感動するなどということは、実存主義ではありえないことなのです。ところがニーチェはヴァーグナーの音楽に感動してしまった・・。
先のヴァーグナーの「無神論的な育ち方をした場合は致命的だ。かつて無神論者が、偉大で永遠の価値を持つものを創造したことはない。」という言葉はニーチェに対して発せられたかのようです。
マルクスにしても、ヘーゲルの哲学を発展させたはずの史的唯物論でしたが、ヘーゲルの弁証法を、世の中の発展は破壊と闘争でしか成り立たないと置き換えたことで、たしかに判り易く手っ取り早い論理にはなりましたが、ヘーゲルの弁証法とは全く違う代物だったことは、もう歴史上明らかにされました。マルクス自身は世の中を良くしようという善なる思いから発したのだと思いますが、ブラームスも述べているように、真理の一面しか見ていない偏った天才は創造の真の神秘に分け入ることはできないのです。
これも、これまでの随想で事あるごとに述べてきたことですが、19世紀末の唯物論と観念論の思想のせめぎ合いは、ギリシャ時代から繰り返し行われてきたことでもあります。マルクスの唯物論思想に対してブラームスやヴァーグナーが反論したように、古代ローマの哲人セネカは、エピクロスの「魂が存在するのは身体の生存期間に等しく、身体の死後は魂も分解され放散してしまう」という唯物思想を批判していますが、こういったことはこれからも延々と繰り返されるのでしょうか・・

この随想を読んでくださった方が、現代の作曲家の中にも作曲するときの内なる体験を述べている人がいるということを教えてくださいました。その作曲家は日本人で、渡辺俊幸という方だそうです。
案内をいただいた公式サイトを拝見すると、ブログで、先に私が述べたことを作曲家の立場で、また現場での体験談を交えて詳しく述べていらっしゃいます。これは大変読み応えがある。それに加え、私が今回取り上げたアーサー・M・アーベルの本のことも紹介されているのです。




以下は、参照として以前の随想録から

プラトンが書き残したソクラテスの行状もほとんどが対話で成り立っている。ソクラテスは対話のもっとも純粋なものは自問自答である、と言ってますが、この人の中にはダイモンというものがいて、彼はそれといつも対話をしていたわけです。この存在は言い方を代えるとソクラテスの魂の兄弟、あるいは守護霊、指導霊といわれるものであったと思われるのですが、常人にははっきりとしたかたちでは現れないのが普通ですから、ソクラテスの場合は特殊だった。インスピレ−ションのもっとはっきりしたものとも云えるのでしょうか。おもしろいことに、このソクラテスのダイモンは、これはしてはいけないとしか言わなかったようなのです。もっとも、最初の啓示は「おまえはギリシャ一の知者である」というものだったのですが、そんなはずはない、と自分がそうではないことを証明するために知者を訪ねる旅に出るわけです。ところが、どうも世に知者と云われている人物は評判のほどではない。いちばん大きな違いは、自分は自分が無知だということを知っている、ところが世の中で知者といわれている人物は、自分は何もかも知っていて知らないことはないと思っている。で、いろいろとその知者に訊ねると自分よりも知らないことが多い。おかしいな・・ということになるわけです。
最終的には、こうしたソクラテスに論破された人々による嫉妬で、裁判沙汰になり毒殺の刑に処せられる結果になるのですが、そのときに着せられた罪は、国の宗教に従わず自分の内のダイモンを信仰しているというもの、そしてもう一つは、若者を惑わしているというものでした。死刑が決まってからは、当然ソクラテスの信奉者による反対運動が起こったようですが、そして牢から脱出する機会もあったようですが、この時はダイモンは何も言わなかったようなのです。いつもなら、これから何かをしようとしたときに、するべきでないときにはダイモンから待ったがかかった。ところが、いざ牢を脱出しようとしたときには待ったがかからなかったので、毒殺の刑を受け入れたということらしいのです。なんともはや・・




ソクラテスという人は、先に述べたように不思議な能力を持っていたわけすが、こういったことは信じるか信じないかということでしか判断しようがないので、なんとももどかしいことなのです。ところがよくよく考えてみると、こういった所謂超能力、あるいは霊能力というものがふつうに身に付いている人にとっては、それがあたりまえなことなのです。このことを、そうでない人々はあまりにも軽く考えすぎているような気がします。科学で証明できないから信じない。そう言うのは簡単ですね。ところが、このこともちょっと深く考える必要があるのです。科学的ということは、言い換えると測定、計量できるということです。そういう物事というものは、ほんの一部分でしかないのです。人間が音楽に感動するということを測定することができますか?怒っている人の怒りの度合いを測ることができますか?
人間の自由を測定できますか?
カントという哲学者は同時代に生きていたスウェ−デンボルグという霊能力者について論文を書いています。このスウェ−デンボルグという人物は、科学者であり、事業家でもあり、社会的にも信用があった人なのですが、50歳を過ぎた頃、突然霊能力が身に付いたのです。正確に言えば霊能力に目覚めたというべきなのですが。
そういう評判を耳にしてカントもこの人物に会い、様々に考察するわけですが、最終的にはこういう特殊な能力は、人間の理性では理解できないと結論付けるのです。だが否定はしなかった。これは頑として存在する。ということで、カントの哲学というものは人間の理性の限界を示すことから入っているんですね。ここのところがカント哲学の特性でもあるわけです。
カントについては「芸術について」という拙論で少し取り上げてますが、それと重複しますが、カントは形而上
(あの世)と形而下(この世)の中間的存在が芸術であると述べています。ということは、霊能力のように科学的に判断できないものは、芸術的に判断できるということです。世の中には超能力や霊能力に関する書籍が数多ありますが、またそういった能力があるということで、それを商売にしたり、宗教の教祖になったりと様々ですが、そういったものも、芸術といっしょで様々なレベルがあるということなのです。玉石混交状態です。霊能力というものは測定しようがないので人を騙すことも容易にできます。ところがそういった人物を芸術的に判断することはできるのです。その人物の目つき、振る舞い、服装、言葉、あるいはその人物が本を出している場合はその装丁、文体などでおおよそは判断できます。もちろん、こういったことを判断するのも、音楽や絵画、あるいは文学を判断するのと同様に熟練は必要になってきますが。




ソニ−・インテリジェンス・ダイナミックス研究所の社長兼所長であられる土井利忠氏が天外伺朗というペンネ−ムで本を出されています。飛鳥新社から出版されている「運命の法則」というものですが、先に私が述べたようなことを科学者の立場で述べていられる。氏がこういったことを書こうと思われたのは、ご自身の体験から端を発しているそうですが、科学者といえども第一線で活躍されている人は、やはり何がしかの目に見えない力、秩序の存在に気付かれているようです。
まずこの方が主張されていることは、20世紀というのは「理性と論理と合理主義」の時代だったが、21世紀は合理主義の底にあるもっと深いものに関して目を向けなければならないのではないか、として深層心理学者のカ−ル・ユングの「共時性」ということに話を展開していかれます。これはご自身の不思議な体験が元となっているということです。それは、ソニ-の創業者である井深大氏が亡くなられたときに天外氏はサンフランシスコ国際空港にいたのだそうです、が、そこで、井深氏のビジョンがパッと見えたのだそうです。後で時差を換算してみると、ビジョンを見た8分後に井深氏が亡くなっていた。これはいったい何なのだろう、ということから、こういった超常現象を調べるようになったということ。そうすると、カ−ル・ユングという半世紀以上も前の心理学者が、そういった現象を「共時性」と定義して、様々な例を挙げ、また、それを考察していることがわかった。
ユングの云う「共時性」とは、同じ時間に二つのことが起きることをいうのですが、この二つのことに直接的な因果関係はないものの一つの意味を表している。日本でも昔から、「夢枕に立つ」とか、「夢のお告げ」とか云われていますが、こうした一見奇妙な偶然の一致に見えることは偶然ではなく、目に見える物質的な宇宙の秩序の背後にもう一つ目に見えない秩序が存在していることの証であると天外氏は言われるのです。
それに関して、宇宙に存在するアカシック・レコ−ドというものについても言及されているのですが、天外氏は哲学者のベルグソンも20世紀の初めにそういったことについて述べていると云われるのです。アカシック・レコ−ドというものは人間一人一人の運命、それかから宇宙の過去と未来を含めた運命が記録されているものということですが、ただ、このアカシック・レコ−ドというものは、誰でもが見ることはできず、それだけの使命のある人にしか見ることはできないということになっているようです。こういったことは、誰もが知ることができないため、信じるか信じないかの世界なのですが、こういったことは実際に体験したことがない人には分かりにくいため、どうしても「それは怪しい話だ」ということになってしまう、というのが天外氏もなんとももどかしいようです。
人間の運命に関することも、たとえば自分の運命というものを知り、コントロ−ルすることは、誰にでもできることなのだが、これは一朝一夕にはいかず、やはり熟練が必要なのであると天外氏は締めくくっていられるのです。このことはヘ−ゲルも同様のことを言っていて、精神現象論の序文で、こういった人間の精神に関することも、発現するためには熟練が必要なのだが、世の人々はこういったことには思いもよらないのである・・・というようなことを述べているのです。




オカルトと言うと、現代では何か恐ろしいもの、気味の悪いものというイメージを持たれているようですが、本来は神秘的なもの、超自然的なものという意味です。あるいは隠されたものという意味でもあります。ですから神の世界もあれば、悪魔的なものもあるわけで、恐ろしいもの、気味の悪いものだけではないのです。ここのところは重要なところなのです。
以前、地下鉄サリン事件を起こした宗教団体がありましたが、その信者、それから実行犯の中に、世間では一流とされている大学の学生がいたことは記憶されている方も多いのではないでしょうか。このような優秀な学生がなぜあのような道に進んでしまったのか、当時多くの識者が様々に論じていました。これは、やはりオカルトに対する免疫ができていなかったのですね、私はそう思います。
現在の日本では教育の現場に宗教を持ち込むことは禁じられている。だが宗教がどういうものか、ということくらいはちゃんと教えておくべきではないでしょうか。
宗教というものにはオカルト的なものは切り離すことができないことなのですが、これは日本の戦後の唯物史観、あるいは実証科学一辺倒の教育方針に反することなので、オカルトに関することはなおざりにされてきた。だから、ちょっとした霊能力(超能力)を見せられただけでコロっとまいってしまうのですね。妄信してしまう。
超能力というものにも神の力によるものと悪魔の力によるものがあるのに、その違いを見分けることができないのです。オカルトには隠されたものという意味もありますが、何が隠されているのか、といえばそれは神の意思とでもいうものなのでしょうか。このことは以前の随想でも述べましたが、マルクスによる史的唯物論というものが台頭してきた時代には、それと対抗するようにスピリチュアリズムがあちこちで興りました。日本でも天理教や大本教などの教祖が神がかりになり、日本神道系の大きなうねりが起きたわけですが、こういった神の啓示というものは、世の中の合理主義、あるいは科学一辺倒の流れに対する警鐘でもあるわけです。そしてこれは何か大きな意志による働きとしか思えないようなことでもあるのですね。どちらに偏ってもいけないのです。ですから科学も超能力も一つの道具として捉えていいのではないでしょうか。それをどう使うかが大切であって、それらに振り回されてはいけないのです。
オカルトの世界が実在しているとすれば、それに対する心構えもできてきます。自分の心の中の世界がそのままオカルトの世界と通じているとすれば、人間がオカルトの影響を受ける場合もあるわけです。殺人を犯した者が、自分の意思ではない何か違った意志でやらされたと供述することはよく耳にしますが、こういうようなこともあるわけです。ですから釈尊が説いたように、悪い思いは持ってはいけないし、マイナスの思い、妬みや憎しみはそれと同じオカルトの世界と通じてしまう。そしてそれが増幅された場合、肉体が反作用を受け病気になったり、ひどいときには殺人や自殺までしてしまう。そういったことにならないように釈尊は教えを説いた。こういったことに古いも新しいもないのですね。人間の本質というものはそうそう変わるものではないのです。また、現代のこうしたインターネットの世界というものも、やはり神の世界にも悪魔の世界にも通じているということになります。ここでもやはり人間の判断力が問われているのです。






古武術家・甲野善紀氏の著書の内の1冊「(いつき)の舞へ」を手に入れたのですが、その内容に少なからぬ驚きを感じているのです。それは清水宣明氏と甲野善紀氏の共著ということになっていますが、4分の3以上は清水氏の思いが綴られています。
清水宣明氏は科学者
(医学博士)で、専門は分子生物学という分野の中のエイズウイルスの感染機構だそうですが、氏がNHKの講座の観客として、甲野氏の武術を間近にし大きな衝撃を受けたということです。そして、それまで科学者の立場として、また教育者の立場として様々に考えさせられてきた事の解決への糸口が見つかったのだそうです。それに加え、三重県で行われている斎王まつりでの「斎の舞」をたまたま目にして大きな感動を受け、それまでの科学者としての現状というもの、それから世間の科学に対する誤解を打破するための指針を得たということなのですが、そういったことが綿々と綴られているのです。これは論文でもなく、評論でもなく、随想でもありません。何というのでしょうか、著者自身の告白でもあり、決意でもあり希望でもある。だからご自身も含め現在の科学者に対し、またそれを過大評価している社会に対しての厳しい批判が忌憚なく述べられているのです。そういった文なのですが、その行間には著者の切々とした思いが滲み出ていて、大きく心を打たれてしまうのです。

奇しくも、これまで私が随想録で書いてきたことと同じ観点なので驚いてしまったのですが、私は楽器を作るということを追求することで体得し、あるいは感じたことを、清水氏は科学者としての立場でそれと同じところを見据えていられるのです。氏が「斎の舞」を見て自分の意思とは関わりなく涙が止まらず、体が震えるほどの感動をしたのは、これまで私が述べてきたことからすれば、これは間違いなくオカルトの世界を感じられたのです。本来、芸術というものもオカルトといえるわけで、芸術は神事でもあるわけです。
で、清水氏が現在携わっていられる科学の世界では、こういったオカルトの世界はタブーとされている、というよりも科学では取り扱わない分野なのですが、現代科学の違和感と閉塞感を打破するにはパラダイム・シフトをするしかないと確信していらしゃるのです。そうすると、それは科学ではなくなる。ですが清水氏自身、科学者の一番の野望は現在の科学という方法論を根底から覆す、新しい方法論を発見することである、と口にされているのです。
「斎の舞へ」では、清水氏が現在携わっている大学も含め、教育現場の現状も取り上げられているのですが、たとえば、学校法人化のために、教育方法が安易な方向へ流れていっていたりするのは、本来の目的から遠ざかるばかりではないかと嘆かれているのです。


Home